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『神戸在住』あなたの芸の奥深さを私は何に例えよう①~それは協奏曲のような~

更新日:

著者:吉原さん

"上質"

とにかく上質。木村紺先生の作品は本当に作り込まれています。

いろいろと凄い作品が揃っていますが、今回はデビュー作『神戸在住』より。

阪神淡路の震災の話など語るべきところの多い作品ですが、この作品の深度をグッと拡張した「日和さん」との死別のエピソードの中から、その卓越したマンガ表現を追っていきたいと思います。

それでは、よろしくお願いします!

『神戸在住』の簡単な紹介

エッセイ形式で描かれる、美術科の女子大生・辰木桂(たつき かつら)の周辺の物語です。

カテゴライズするのであれば、「日常系」と言うのでしょうか。

美術や本、映画、音楽、食べもの、季節、風景、人間関係。そして時折混じる震災の話。

トーンや定規を使わない、手作りの温かみのある作風が特徴的な作品です。

今回紹介するエピソードは、主人公の桂が憧れていたイラストレーター・日和洋次さんが亡くなる話。

10話も前からの"仕込み"

もうね、始まる前から凄い。

当該のエピソードは7巻第62話から。

その10話も前の6巻第52話において、「日和さん」の死が伝えられます。

日和さんとその仲間たち。皆で遊んで楽しかった思い出のエピソード。

その後ろにぽつん、と。

それからひと月の後 日和さんの訃報が 私の元に届いた。

今はただ 心から 彼の冥福を祈りたい

『神戸在住』日和さんの訃報

(講談社/木村紺『神戸在住』6巻 第52話「日和さんちでのこと。」)

このような訃報とお悔やみの言葉が添えられて、第52話は終わります。

連載当時、ビビりましたよ。

「えっ…なに? いきなり訃報??」って。

そして、死亡理由などは一切語られません。具体的にその「死」が描かれるのは10話も先の話なんです。

アフタヌーンは月刊連載だから、単純に数えて10か月後にやっと語られるわけです。

…こんなこと、ありえますか?

主人公・辰木桂にとって「日和洋次」は非常に重要な人物であり、その「死」はさらっと描くような出来事ではありません。

なのになぜ、10話も前に「ただ死ぬという事実」だけを予告したのか。

現実にモデルの方がいらっしゃって、その方が亡くなったのかと思ったくらいです。

前代未聞です。こんなやり方。

10話も前に死ぬことを予告した理由

ポイントは、この作品が終始、主人公・辰木桂のエッセイ風、手記的な作品であること。

この作品自体が、作者・木村紺ではなく、主人公・辰木桂の手になるものだと捉えた際に、憧れの人物である「日和さんの死」をいきなり手記に残すなんてできっこなかったんです。

「辰木桂」という人物にとって、それほどまでに「日和洋次」は特別な存在だった。

亡くなられたことを知ったその時は、冥福を祈ることしかできない。

しばらくたって(10話分)、やっと話し始めることができた。

…と、そういう演出なのでしょう。

その面影の追憶は 今でも胸の痛みと共にある

だけど 今こそ話そう 私が日和さんと過ごせた 最後の日々を

『神戸在住』日和さんを失った日のこと

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

桂は今こそ、話すのです。10話もおいて、今こそ。

即日人気と売上が必要なマンガ業界で、今後このような気長な演出ができようか(いや、できまい)。

主要な登場人物が死ぬ、というのは人気のカンフル剤に成りうる要素なので、鉄は熱いうちに打てとばかりに畳みかけてくるでしょう。

まさに「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」(※木村違い)。

書き文字の変化

また、もう1点、見過ごせないところを指摘しておきます。

この作品では通常、吹き出しの外にある桂の独白は常に「手書き」なのですが、この先でご紹介する7巻第62話以降の一連のエピソードだけはフォントになっています。

一例として、普段の表現をご紹介します。この時は桂が女子高生だった時の回想の場面。

寂しく思わないことが、残念だった。

あの気持ちは、恋になりそこねたのだと、やっと私は気づいた。

『神戸在住』恋のなりそこね

(講談社/木村紺『神戸在住』10巻 第87話「私(わたくし)たちとラブストーリーの夜。」)

はい。非常に可愛らしいですね。

しかし、「日和さんの死」について語る時、この手書き文字は用いられません。

これは、「日和さんの死」はとても"可愛らしい手書き文字では表現できない"、ということでしょう。

普段とのギャップから、なにかを突っぱねるようにピシャリとした印象や真剣味を与えますので、そちらもご注目ください。

それでは、具体的な内容に移りましょう。

訃報を受けた直後のシーン

昨日、日和さんに会ったばかりの桂。

急に具合を悪くした日和さんにうまく対応できなかった自分を責め、謝りにいこうと決めていたところでした。

しかし、ゼミがはじまる直前、友人の鈴木さんから、不意に日和さんが亡くなったことを知らされます。

その後のリアクションがこちら。

頭の中が まっ白に なった

『神戸在住』訃報を聞いた際のリアクション

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

ここは2点、鈴木さんのセリフと桂の独白にそれぞれ注目してみましょう。

まず、鈴木さんの言葉から。

「たつきさん」と呼びかける、鈴木さんの声。明らかに、不自然に、大きい。

吹き出しからはみ出ていますが、はみ出た部分は見えません。

"聞こえているけど頭の中に入ってこない"、ということでしょう。

吹き出しに収まり切れないその奇妙な文字サイズは、桂が動転していることを伝えてきます。

巧みです。

次に行きます。

いまなんていったっけ? 鈴木さん今 何て言った?

『神戸在住』訃報を聞いた際のリアクション2

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

「たつきさん しゃーぺんおとしたで? だいじょうぶ?」

またも吹き出しからはみ出し、まともに頭に入ってきていません。

そして漢字もカタカナも使わずに、すべてをひらがな表記にすることで意味性を排除しています。

これは、言葉の意味が頭に入ってこず、音としてしか聞こえない、ということを表現したのでしょう。

当然です、桂は多大なショックを受けているのですから。

しかし、文字サイズは通常のサイズに戻りつつあります。

最終的には

鈴木さん 今 なんて 言った?

『神戸在住』訃報を聞いた際のリアクション3

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

「辰木さん 大丈夫? 帰った方がええんちゃう?」

と漢字も使い、通常のサイズで普段通りに聞こえています。

・サイズが大きく、はみ出している、ひらがなのみ→異常

・サイズはふつう、はみ出している、ひらがなのみ→ちょっと異常

・サイズはふつう、はみ出してない、ひらがな以外もあり→正常

と、段階的に表現が異常→正常に戻っていきます。

これは、はじめはまともに聞こえなかった鈴木さんの言葉が、徐々に耳に入ってきているということを表現しているのです。

もう一点。

今度は桂の言葉に着目します。

頭の中がまっ白になった後の言葉は、

「いまなんていったっけ?」

とすべてがひらがな。自分でなんて言っているのか、本人自身よくわかっていないことを表しています。

しかし、次の言葉は

「今 なんて言った?」

と、漢字(意味性)が戻ってきました。

そして、噛みしめるように、

「鈴木さん」「今 なんて」「言った?」

と繰り返すことで、やっとその言葉の意味を受け止めています。

通常であればひとつの文章の中で、漢字やひらがなの表記は合わせることが正しいわけですが、それをあえて崩すことで人間の内面の微妙な変化を描き出しているんですね。

はい、ではそれを踏まえて改めて見てみましょう。

頭の中が まっ白に なった

『神戸在住』訃報を聞いた際のリアクション

いまなんていったっけ? 鈴木さん今 何て言った?

『神戸在住』訃報を聞いた際のリアクション2

鈴木さん 今 なんて 言った?

『神戸在住』訃報を聞いた際のリアクション3

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

…見事としか言い様がない。

鈴木さんの吹き出しの言葉の変化と、自らの心のうちの言葉の変化がピタリ一致するその様はまるで協奏曲。

まずはショックで受け止めきれず、徐々に言葉の意味を解している様が完璧に表現されています。

職人芸とはこういうことです。

見開きで見た際に受ける印象

このシーン、最後にもう1点。

先ほどの説明した部分は明らかに作者の意図を感じますが、こちらはただ私が受けている印象です。

見開き1Pで見てみましょう。

『神戸在住』訃報を受けた際のページ全体

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

先ほどのシーンが収まったページですが、お葬式で使われるあの白と黒の幕、「鯨幕(げいまく)」が張ってあるようにも見えるんですわ。

鯨幕

このページで初めて桂の中に「日和さんの死」が入り込んでくるわけですが、そのことがページ全体から漂ってくるようです。

いい。

無論、続きます。まだまだこんなもんじゃない。

それでは、また!

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