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『神戸在住』あなたの芸の奥深さをオレは何に例えよう③~それは宮沢賢治のような~

更新日:

著者:吉原さん

前回前々回に引き続き、今日も今日とてマンガ職人・木村紺先生の『神戸在住』における卓越したマンガ表現を見ていきましょう。

「日和さんの死」を通じた一連のお話を順を追って見てきているわけですが、今回はその「言葉」に着目してみたいと思います。

それでは、よろしくお願いします!

「かりん」と砕け散る「何か」

初見時に、木村紺という作家の認識を大きく変えないといけないと思わされた表現です。

さっそくご紹介しましょう。

「かりん」

私の中で輝きを放っていた何かが こおりつき砕け散る

その音が たまらなく息苦しくて

私は あのヒヨコの絵を無理やり思い浮かべて 疼(うず)く心から何もかも閉め出した

『神戸在住』「かりん」と砕け散る心

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

「かりん」

なんだろう。

この言葉に、私は宮沢賢治以来の衝撃を受けました。

小学生の時にはじめて見た、『ジョジョの奇妙な冒険』のカエルをつぶす(つぶさない)時の伝説的擬音・「メメタア」にすら、ここまでの衝撃は受けていません。

鉤括弧(かぎかっこ)で括られ、改行をされただけで他にはなんの演出も修飾も受けていない言葉なのですが、「チクリ」と「グサリ」の中間位の鋭利さで、心を突き刺します。

え?

反応しすぎですか?

そうかなぁ…。ま、いいです。私の実感は私だけのもの。めげずに解説を続けますよ。

さて。

「かりん」

ビードロのような。薄いガラスが割れた時を思わせる、儚(はかな)げな音。

ここでも注目したいのは、ひらがな表記であることです。

通常、擬音はカタカナで表記されますが、ひらがなで表現されることにはどんな意味があったのでしょうか?

私には、「カリン」という音が持つ若干の鋭さは、あくまでも「こおった」たために得た特性であり、この「輝きを放っていた何か」自体は、和(やわら)かなものだったからではないか、と感じられます。

だからこそ、「カリン」という完全に凍えた音ではなく「かりん」というどこか温かみを残した表現に落ち着いたのではないでしょうか。

「輝きを放っていた何か」とは何か?

もう1点。検討しておきたい点があります。

それは、あくまでも「輝きを放っていた何か」という表現に留まる、桂の日和さんへの感情です。

一言も「愛」だとか「恋」だとか言ってない。

私はこれを尊重したいがために、ずっとここまで「憧れの人・日和洋次」と表現させていただいているのですね。

辰木桂にとっての"スカート"

「かりん」と表現されたコマでの桂の姿は、部屋に閉じこもった時の服装(パンツ姿)ではありません。

『神戸在住』スカート姿の桂

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

日和さんと最後に会った日、桂はスカートを穿いています。その時の映像なんです。

、これは読者ならわかることなのですが、学生服以外での桂のスカート姿なんて相当にめずらしいこと。

常にパンツ姿の男の子のようなファッションが「辰木桂」という人物の通常形態なんですよ。

『神戸在住』6巻表紙

(講談社/木村紺『神戸在住』6巻 表紙」)

では、なぜこの時にスカート姿だったのか、と言うとちょっと理由がありました。

日和さんのお願い

たまたま日和さんたちと一緒に食事にいったとき、「今度会う時にスカートを穿いてきて欲しい」とお願いされています。

日和「今度 君 スカートはいて来てよ」

『神戸在住』日和さんと桂

日和「この人は面白いんだよ 頑なにスカートをはかない人なんだよね だからぜひとも見たくて」

『神戸在住』スカートをはいてほしいと要望する日和

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

彼がどういう思いでスカートを穿くことを提案したのか、物語上では描かれません。

ただなんとなく言ったのか。冗談でからかっているのか。

それとも、そうではない意味があるのか。

スカートをあまり穿かない女性をつかまえて「面白い」というのもなんだか問題がありますが、少なくとも桂にとっては不快な言葉には聞こえなかったようです。

桂がスカートを穿く日

後日。

彼女は大学で講義を受けた後、わざわざ家に帰ってスカートに穿き替えてから、日和さんのお店へ向かいます。

「そうまでしてスカートを見せたくないか(笑)」と言いたくなってしまいそうですが、そうではないですよね。

前夜 悩みに悩んだ組み合わせ

中学生の頃のスカートで お尻がきつくて丈が少し短いけど ウエストはなんとか入ってよかった

『神戸在住』スカートを穿いた桂

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

効率のことだけを考えたら、大学にも穿いていけばいいんです。でも、そうはしない。

「日和さんが見たい」と言ってくれたから、日和さんのためだけに穿きたいという乙女心なのでしょう。

見せたい人にだけ見せたいんです。

(単純に大学でスカート姿を見せてしまって、いろいろ勘ぐられるのがイヤだった面もあるのかもしれませんけど)

急いで着替えた桂は、日和さんの店に向かいます。

お店の前までくると どうしてだか すごいドキドキしてきた

みっつ深呼吸してから「えいやっ」とお店に飛び込む

『神戸在住』ドキドキする桂

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)

「どうしてだか」すごいドキドキしたそうです。

・・・。

この後に及んで、「どうしてだか」。理由は明白な気もするのですが、なぜ自覚できないのか。

しかし、それこそが「輝きを放っていた何か」と表現されるものの片鱗です。

端的に言って、恋愛感情は混じっているでしょう。だけど、ここまでわかりやすい言動があるにも関わらず、具体的には自覚できない。

それは、「一口に恋愛感情だと言えないもの」であると同時に「自身で気づくことを許していない感情」でもあるのだと考えられます。

"恋愛感情"と認知しない理由

ちょっと時間はさかのぼり、つい先日のこと。

桂は、「自分の絵のどこが良いのか?」と日和さんに問われました。

何気なく聞かれているようではありますが、日和さんにとって作品は自分の存在そのもの。ほとんど、「私という人間のどこが良いのか?」と聞いているようなものなのです。

(実際に、最終巻にてそのように示唆されます。)

わたしが好きなところは 色合いとか構図とか 素直なのにすごく優しい感じがあって

ああ 日和さんてこんな人なのかなぁって

『神戸在住』日和さんの絵が好きな理由

(講談社/木村紺『神戸在住』10巻 「挿話・日和洋次の視点」)

・・・。

何をか言わんやといったところですが、とにもかくにも「恋」だとか「愛」だとかといった理解はしていないようです。

正直、ちょっと異常ですらありますよね。

この場面(シーン)、ほとんど"告白"していると言ってもいいですよ?

良いじゃないですか。「異性として特別な感情を持っている」ってことで。なぜそれではいけないのでしょうか?

それを語るには、桂が高校生の頃を確認する必要があります。

「人生の師」

日和さんの作品と出会った高校時代は、桂にとっては輝かしい時期ではなかったようです。

あの頃の思い出はどれも 不自然な程 白い

もしかしてそれは 正視を拒む私の心が 記憶を漂白したせいかもしれない

『神戸在住』高校時代の記憶

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 「挿話・日和さんとの出会い」)

この多感な時期に、桂の心に入り込んできた日和さんの作品は、彼女に多大な影響を与えました。

(※本筋じゃないので多くは語りませんが、この「記憶を漂白」っていうのも秀逸な表現ですよね!)

日和さんの絵のモチーフであった「猫」が、彼女の記憶に結びついたことがきっかけともなり、桂曰く「私の身体を電気のような痺れがかけぬけた」ような、強烈なインスピレーションを受けます。

結果、美術部ですらなかった彼女が、大学の美術科に進学するきっかけとなりました。

「あの 猫の絵を描いた人がいる街で」「私も絵を描いてみたい」と

『神戸在住』美術科進学を決める桂

(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 「挿話・日和さんとの出会い」)

そんな桂にとって日向さんとは、「尊敬するアーティスト」であり、その道に進みたいと思わせてくれた「人生の師」として見ていた向きもあります。

現実には。

神戸に来て、実際に出会ってからは、恋愛的な感情も持ち合わせていたと思えるのですが、単にそのように表現してしまうことは彼女の中では「畏れ多い」というか禁忌的に感じられたのかもしれません。

はじめに圧倒的な「尊敬の念」で塗りつぶされたからこそ、それを自身の「恋愛感情の対象」として再定義することが困難だったのでしょうね。

この気持ちは以前のような「恋愛のなりそこね」ではなく、それ以上の複雑なものでした。

これこそが、「輝きを放っていた何か」の正体なのだと思います。

まとめ

いや、長々と話してまいりましたが、結論としてはことほどに「言葉」を大事に扱う作家である、ということを指摘したいのです。

「恋してました」と言えば簡単です。

「好きだった人が死んでしまった」。わかりやすいです。感動です。

でも、そうは言わない。

そういった俗な言葉を用いずに、ただ誠実に「辰木桂」という登場人物の内面を描き出しているのです。

そうすると、、、こうなる。

「かりん」と「輝きを放っていた何か」が、「こおりつき砕け散る」のです。

"文"による"芸"を文芸と呼ぶのであれば、これは文芸です。

木村紺先生の持つ文芸的な力が、ここに強く表れています。続きます。

それでは、また!

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『神戸在住』あなたの芸の奥深さを私は何に例えよう①~それは協奏曲と鯨幕のような~

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