『ヒストリエ』恋愛の駆け引き描写の妙味①-視線から追うエウメネスとエウリュディケの間に満ちる「別れの気配」

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著者:吉原さん

『ヒストリエ』は『寄生獣』で有名な岩明均先生による歴史大作であり、アレキサンダー大王の書記官・エウメネスの一生を描く作品です。

決して恋愛が主題となっている作品ではないのですが、その恋愛描写にグッときました。

趣味的ではありますが、ここに岩明均先生の人物描写の巧みさを取り上げたいと思います。

それでは、よろしくお願いします!

シーンの概要

ごく簡単に背景を説明しますが、古代マケドニアの書記官・エウメネスと有力貴族の娘・エウリュディケは相思相愛であり、あとは結婚の許可をもらうばかりの仲でした。

しかし、エウメネスが「有能過ぎた」ことも要因のひとつとなり、エウリュディケは国の王であるフィリッポスの第7王妃となることに。

聞きつけたエウメネスはエウリュディケの元へ向かいます。

ここから先は、実際の"現場の空気"を追いかけてみましょう。

※画像をかなり多めに引用しますが、岩明均先生は繊細な描写をされるマンガ家なので、その"空気感"を汲み取るには引用が必要不可欠です。何卒ご容赦ください。

ファーストコンタクト

まずは到着したエウメネスが侍女に取り次ぎ、エウリュディケが出てきます。

出てきたエウリュディケの表情を見てください。

エウリュディケ「来たんだ」

『ヒストリエ』エウリュディケの出迎え

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

ごくごくわずかに口角が上がり、笑みを浮かべていますが、目は笑っていません。

(わずか過ぎて画像だと見えないけど…)

少しだけ小首をかしげ、後ろに回した手は恋人同士の気安さを思わせますが、どこか「上から目線」というか突き放したような冷淡な印象も携えています。

なにより「青天の霹靂」とも言うべき事象が起こった後の態度としては、不自然なほど落ち着き払っている。「来たんだ」もなにもないもんです。来るでしょ、そりゃ…。

これは「別れたい男」との折衝・戦いのために、女子としての戦闘態勢をとっている、と見るべきです。

あれですよ、ジョジョ第2部で言うところのシーザー・ツェペリの「ネコ足立ち」ね。どの方向からの攻撃にもスピードとリズムを失わぬ防御態勢ってやつ。それを精神的な意味でやってます。

対して、振られる側であるエウメネスはただ一言。

エウメネス「来たさ」

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ1

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

と答えます。

この切り返しからは「当然だろ」というやや強めの感情を読み取ることもできそうなものですが、後姿のエウメネスからは表情で直接読み取ることはできません。

むしろ、引いた二人の絵の「間(あいだ)」にこのセリフが置かれていることから、一種の「間(ま)」を生じさせた一言であり、それはつまり「次ぐ言葉の無い言葉」であった、要するにエウリュディケ側の説明を待つ言葉であったと推測されます。

語調は強いものではなかったでしょう。

"拒絶"という既定路線

言葉を待ったエウメネスに対して、エウリュディケはいまだ必要な言葉を発してはくれません。

エウリュディケ「お疲れさま 無事のご帰還何よりです」

エウメネス「…………」「第7王妃になるんだって?」

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ2

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

エウリュディケはおしとやかで大人しい娘というわけではなく、むしろ奔放で、貴族の娘としてはややエキセントリックな女性です。

この慇懃(いんぎん)な態度は明らかに「拒絶」を示しており、王との結婚のことに触れもしていません。

エウメネスも彼女の考えの大筋は読めつつも、聞かないわけにはいかないので話の歩を進めます。

また。

このシーンは二人の視線が合っていないことにもご注目ください。エウリュディケとしては、後ろめたさもあり視線を当てないのでしょうが、エウメネスとしてもまだまだ探りを入れている段階なので、相手の目を見つめることをしません。

彼はこの結婚の性急さ、そして政治的な意味での不自然さなどを突きます。

エウリュディケ「そういう事はよくわからないけど」

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ4

エウリュディケ「あなたには……申し訳ないと思ってるわ」「ごめんなさい」

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ3

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

はたして、わからないでしょうか?

エウリュディケはちょっとギャルっぽい言動とは裏腹に高い知性があり、少なくとも「政治的な不自然さ」のことを改めて検討できる知的誠実性は有しているはずです。

「わからない」のではなく「わかりたくない」のが本音か、少なくともそのことについてエウメネスと議論する気がないという意志の表明でしょう。

その立ち振る舞いは既に王妃のよう。過去の男を寄せ付けません。

ただ、この謝罪の言葉は誠実な思いから発せられた「真実の言葉」と受け取れます。一連のやりとりの中ではじめて体重を感じたセリフでした。

「別れ」の本質

しびれを切らしたエウメネスは語気を強めながらエウリュディケの意志を確認します。

エウメネス「きみの気持ちはどうなんだよ!」「きみの……!」

エウリュディケ「女の気持ちは関係ない」

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ4

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

まさに、ことの本質はここにあります。

「意志」。

エウメネスは自らの意志を持って、自らに拠って生きてきた、本質的に"自由"な男です。町の有力者の息子として育てられていた幼少期の頃より、地平線の果てを夢見るような"縛られない"、"捕らわれない"人間でした。

対してエウリュディケは英明ではありましたが、「女の気持ちは関係ない」この時代の貴族として生きてきた女性。

自らの人生を"籠の中の鳥"と捉えていたでしょうし、それは事実その通りです。

エウリュディケ「……わが一族の誉れよ」「私自身 光栄の至り」

『ヒストリエ』誇らしいエウリュディケ

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

この言葉は"まるっきりのウソ"、というわけではないはず。

貴族の娘として生まれたからには、いつかどこかに政略的に嫁ぐことは想定の範囲内なのは当然。それが国王だなんて、これ以上はない最上の嫁ぎ先です。

が、しかし、この"よそ行きの言葉"からはそれが嬉しいことばかりであることは示してはいません。
エウメネスもすぐにその不自然さに気が付きます。

エウメネス「変だなあ……」「もともとそういう人じゃないだろ きみは」

『ヒストリエ』いぶかしがるエウメネス

エウリュディケ「…………」

『ヒストリエ』だまるエウリュディケ

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

「まあ、ね…」とでも言いたげなエウリュディケの表情。

でもそれを口に出すわけにはいきませんね。目の前の男とは別れなければならないのですから、つけ入る隙を見せたり、言質を与えるわけにはいきません。

ですが、そんな風にエウメネスが自分を理解してくれていることは、嬉しくはあるのでしょう。鉄面皮を装うつもりだった表情は少しずつ緩んでいきます。

ところで。

ここまでのところでも一度も二人は視線が正面から通い合いません。

比較的、エウメネスの方は彼女に目線を送るのですが、エウリュディケは視線を伏せたり遠くをみたり。たまにエウメネスに目線が行くときは、エウメネスの方が視線を外している時か、作った表情を向ける時だけ。

ごくごく細かな描写ですが、特にエウリュディケ側の内面を見事に表し、この場面の空気を作っています。ハッキリ言って、すべての吹き出しの中のセリフを修正液で消したとしても、「この二人は別れ話をしている」「振られるのは男の方だ」ということを読み取ることが可能です。

・視線を外すのは"後ろめたい"から。

・興奮している方が寄りすがっている。

この2点に着目するだけで十分。「恋の終わりは立ち去るものだけが美しい」の良い見本です。

ウソだと思うなら、『ヒストリエ』の10巻買ってきて吹き出しのセリフを隠して二人の表情だけを追って見てください。別にうちのサイトからでなくてその辺の本屋さんからでいいんで。人の視線の動きに相当鈍感な人以外は、必ずわかりますから。

そのくらい、このシーンは「別れの気配」が漂っています。荒井由実『翳りゆく部屋』が聞こえてくるようではないですか?

これが岩明均先生の"匠の業"です。「マンガ」という絵とコマと文字を使った表現の強みを存分に生かしており、私がマンガという表現方法を愛する理由の一つですね。

まだ続きますよ。

それでは、また!

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