『ヒストリエ』恋愛の駆け引き描写の妙味③-恋人たちの価値観の応酬と主導権争い。その幸せげな末路…

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著者:吉原さん

前々回前回とエウメネスとエウリュディケの別れ話を書いてきましたが、これまでは前哨戦。

エウリュディケが正面切って対応しはじめたここからが本題ですね。

それでは、よろしくお願いします!

エウリュディケの切り返し

エウリュディケは極力、突っ込んだ話はしたくなかったはず。エウメネスをより強く否定せざるをえないからです。

しかし、縁談をぶち壊すとうそぶくエウメネス(たぶん本気)に、正面から対応をはじめました。

"自由"とは柵に囲まれた「庭」だ、とエウリュディケ。

彼女はエウメネスの心に吹いていた"自由"の風を知っていた。しかし、その風に乗って「庭」の外まではいけないと考えていました。

ここで、初めて、エウリュディケはまっすぐエウメネスを見据えます。

エウリュディケ「地平線まで続く"自由"などありえない」

『ヒストリエ』エウリュディケ

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

はい、ここね。

再開の当初から、冷静を装い、来なくてもよかったような態度をとる。

王との縁談の話も自分からは切り出さず、慇懃(いんぎん)な態度で他人扱いする。

「縁談ぶち壊し」の揺さぶりは、冗談に聞こえたことにする。

そして。終始、目線は合わせない。

が、今。

エウリュディケは強く、大きく、敢然と、エウメネスを見つめて、彼が心の中で思い描いてきた"自由"を否定します。

(画像だと伝わりにくいんですけど、かなり大きなコマなんですよ)

結構、ショッキングなほどに強い目線です。

マンガの演出的に言えば、このシーンのために、今までエウリュディケは目を合わせてこなかったと言ってもいい。

エウメネスの気持ちになって読むと、、、つらいなぁ。

男として、力不足と言われているようなものですから。「私を柵の外に連れ出す力はない」ってね。

エウメネスからの新提案

一呼吸の間を置いてエウメネスは「柵か……」とつぶやきました。

そしてつとめて普通っぽく、「地平線の先にある柵を探す旅」を提案。まるでちょっとした小旅行かのように。

これは、エウリュディケの強い意志をいったん逸らすための物言いでしょう。

それは旅ではなく逃避行。エウメネスはわかって言ってます。エウリュディケもわかって聞いています。

彼女は、その旅を「ヘロドトス」のトロイア戦争になぞらえました。愚かな王子が美女をさらって逃げるお話です。

「愚か」の意味

その瞬間、エウメネスの脳裏には「パフラゴニアのサテュラ」が浮かびます。

エウメネス「おれは…… 愚かだよ」

『ヒストリエ』エウメネス

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

ふいに浮かべた笑顔は、昔の恋人が「まったく同じ例え話」をしたから、か。

(過去の記憶であるサテュラのコマだけ枠線がないのが心憎いですね。表現がスマート。)

そうして、思い返すかのように「おれは……愚かだよ」とつぶやくエウメネス。

いったいなにが「愚か」なのか。

あの時、「つれてって」と言ったサテュラを連れて逃げなかったから愚かなのか。

サテュラ「知らないよ 後の事なんてどうなろうと 誰が死のうと……」

『ヒストリエ』サテュラ

エウメネス「多くの人々の人生を踏みつけ踏み台にして 2人だけの幸せをつかむ……」「それはそれで1つの生き方かもしれないけど」

『ヒストリエ』エウメネスとサテュラ

エウメネス「おれやきみには無理だろう……?」

『ヒストリエ』過去のエウメネス

(講談社/岩明均『ヒストリエ』4巻 第36話「オデュッセウス」)

それとも、エウリュディケと2人だけの幸せをつかもうと、マケドニアでの生活や地位のすべてを投げうとうとするから愚かなのか。

過去の誤った選択をした自分に言っているのか。現在の賢くない選択をしようとする自分に言っているのか、それは判然とはしません。

おそらく両方でしょう。

しかし、彼の出した結論は過去の自分とは正反対のものでした。

エウメネス「でも……行く手を遮る敵は 倒してみせる」

『ヒストリエ』エウメネス

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

正直、エウメネスがここまでエウリュディケを想っているとは思わなんだ…。

具体的にはマケドニア王フィリッポス、そしてその他あらゆるものに対して向けられているわけですよ、このセリフ…。

そりゃ、女一人のために全面戦争になるわけではありませんが、個人としてはこれ以上ないくらい王のメンツに傷をつけるわけで。

まさしく、逃避行になりますよね。

「とりあえず言ってみた」ような生半可な覚悟の「必ず幸せにします!」「お嬢さんをください!」よりもはるかに重い言葉です。

そして、エウメネスならば果たせるのではないか、そんな覚悟を感じさせます。

こんなエウメネスのプロポーズを断る女いるの?(いた)

エウメネスの結論の変化

しかし。

この真逆の結論はいかなる心境の変化か。

時は経ていますが、エウメネスの価値観を劇的に変えるような変化は、ここまでの連載において描かれてはいないように思います。

エウメネスはエウメネスとして、エウメネスらしく生きてきました。

では、なぜ変わったのか。

仮説を立てたいと思います。

前回のサテュラの際は、エウメネスがこれまで身を寄せた「ボアの村」の存亡がかかっていました。そのことは判断に大きく影響したでしょう。

マケドニアについては、エウメネスはどこか「雇われ人」程度の意識であることは節々で表現されています。

加えて、先ほどの「おれは……愚かだよ」の発言が示すように、端的に言えば、「後悔」があります。

「ボアの村」のためにサテュラから身をひいたことが、ずっと心に残っていた。

それは、王宮日誌・エウメネス私書録にて

「パフラゴニアのサテュラ……」「忘れる事はできぬ」

『ヒストリエ』エウメネス私書録

(講談社/岩明均『ヒストリエ』3巻 第25話「パフラゴニアにて・2」)

と書かれるところからも、想像がつきます。

運命を取り戻したい。もう後悔はしたくない。そんな思いが過去とは真逆の選択をさせているのではないでしょうか。

その判断を支えるものとして、マケドニアでの彼自身の成長と実績がある。

そんな風に読むことができます。

最後はストレート

様子見のジャブ、心にひっかけるフック、そして最後はストレート。

それにしてもエウメネスはさすがです。押すところと引くところを間違わないというか。(彼、営業としても一流だったろうなぁ…。)

結果的に放たれたプロポーズのごとき言葉に、エウリュディケの表情が歪みます。

はじめのように冷静を装うことはできていない。

先ほどまでのように笑って茶化すこともできていない。

その"機"を逃さず、ボディタッチ!&ストレートな言葉。

エウメネス「行こう!!」

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

いやー、完璧に落ちるでしょ、これ(うそ!? 落ちないの…?)。

誠実であるがゆえの「自分のため」

エウリュディケの表情から、ここが押し時とみたのか。

エウメネスは、さらに畳みかけに入ります。

「王妃なんかやめちまえって!!」

「ろくな事はない」

「マケドニア王家の歴史知ってるだろう!!」

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

エウメネスには珍しく「額に汗」までかいて押し切ろうとします。

が。

迷いに迷い、苦しむ表情を見せながらも、エウリュディケ、なんとかしのぎました。

ここからは「間」と「変化」が重要なので、画像引用を連続します。

エウリュディケ「ふふ……… それ…… 私のために言ってる?」

『ヒストリエ』エウリュディケ
『ヒストリエ』エウメネス
『ヒストリエ』エウメネス

エウメネス「……おれのために言ってる」

『ヒストリエ』エウメネス
『ヒストリエ』エウリュディケ

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

…正直、あと「ちょっと」でしたね。

だがその一押しが、遠かった。

「自分のため」で思い起こす事例

このやりとりを見て。私には2つのシーンが思い起こされます。

1つ目はちばてつや・高森朝雄『あしたのジョー』で、矢吹丈とホセ・メンドーサのタイトルマッチ直前。

パンチドランカー症状がみられるジョーを止めようとする白木葉子の言葉は、「あなたのため」ではありません。

「わたしのため」でした。

(これについては記事にします)

2つ目は福本伸行『天 天和通りの快男児』で、アルツハイマー病のため自殺を企図するアカギを止めようとする天の言葉は、「アカギのため」ではありません。

「俺のため」でした。

詳しくは述べませんが、いずれも「誠実」を貫き通した先に「自分のため」という言葉が絞り出されるシーンです。

エウメネスの場合も、そうです。

押しつけがましく「お前のために言ってるんだ」なんて言いません。

すべてを投げうってでも、「エウリュディケと共にいたい自分」のために言ってるんです。

再度、二人の表情を見てみましょう。

エウメネス「……おれのために言ってる」

『ヒストリエ』エウメネス
『ヒストリエ』エウリュディケ

(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

エウメネスのどこか「降参」とでも言いたげな笑顔が寂しくも印象的であり、それを受けてのエウリュディケの笑顔も素晴らしい。

嬉しかったんです。どこまでも誠実に相対し、その上で自分を求めてくれて。

これにて。

エウリュディケとしては、エウメネスのすべての真心を受け取ることができた。そして、満足した。

そういうことでしょうか。

いやー、前回も書いたけど、別れ話、かくあるべし。

別れに際して、二人で誠実に言葉と心を交わすことができるのなら、それに勝ることはないですね。

(だいたい難しい)

二人の「別れとプロポーズ」の一幕は一気に終息に向かいます。

最後にもう1記事、二人の別れのシーンをご紹介して、一連のシーンの解説を終わりたいと思います。

それでは、また!

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