『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』身近な家族の死を受け入れるということ①

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著者:吉原さん

あれ?

ちょっと待って。今、タイトルに引きました?

ダメですよ、引いたら。

このタイトルを読んで引いてしまった人が想像するよりも、ずっと「いい意味で」ふつう。

ごくふつうの家庭。ごくふつうの愛ある家庭の話です。

まだ元気だったころの母との生活。

ゆっくり死んでいく母との生活。

そして母がいなくなった世界での生活。

どこのだれの身にも起こる、母との別れ、そしてその後の物語です。

母がいない世界で生きる

(新潮社/宮川さとし『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』第5話「あの時、母は根拠のない自信に満ちていた」)

それでは、よろしくお願いします!

母親へのがん告知

物語は母親と作者が病院で診察待ちをしているシーンからはじまります。

はたして結果は末期の胃がん告知でした。

母は自分が死ぬことを受け止め、死ぬまでの準備をはじめます。

昔、女優の樹木希林さんが「がんはゆっくり死ねるから、準備ができて良い」みたいなことを言っていたと記憶しているんですが、私もその通りだと思います。

息子である作者もこの時点で仕事を辞めることを決意し、母との時間をできうる限り長くとろうと考えます。

私と祖母の場合

実は、私の祖母もがんで亡くなっています。

子どもの頃から近所で暮らしていて、夕飯はいつも一緒にとっていました。

ツワブキの食べ方や味噌の作り方も教えてくれ、手作りのまんじゅうや胡麻豆腐を食べさせてくれる祖母でした。

私は祖母が声を荒げる様を一度もみたことがなく、孫たちを分け隔てなくいつも深い愛情で包んでくれた人でした。

まんじゅうを作ってくれる祖母

(ありし日の、まんじゅうを作ってくれる祖母)

このマンガを読んでいると、どうしても祖母のことを思い出してしまうのです。

ちょうど連休を利用して地元に帰省していた時に「もう長くない」ということを母や叔父から聞きました。

連休の終わる日。私は祖母の家に別れのあいさつをしに行きます。

いくらかの言葉を交わした後、祖母は自分の容態について説明してくれました。

そして子どもの頃からずっと変わらない満面の笑顔を私に向けてくれながら、しっかりと立ったままで、

「これが今生の別れ!」

と言いいました。

どんな顔をすればいいのか、どんな風に答えればいいのか。

私は、とっさにわからなくなってしまいました。

(もし、あの日に戻れたら。自分はどうするだろうか)

そんな風に考えてしまうことがあります。

すれ違う親子の気持ち

さて。話を宮川家に戻します。

家族として、お互いに深い愛情を持っていた母と息子でしたが、がん告知を受けてからの二人の対応はまったく方向性の異なるものでした。

医者があそこまで言うなら…

まぁ あかんってことやねぇ…

母への末期がん告知

(新潮社/宮川さとし『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』第4話「僕の自慢話を喜んでくれる人」)

母は自分が死ぬことを受け入れ、その準備をはじめます。

庭の整理や勝手の改装、そして写真の整理。

対して、息子の方は母を支えるために仕事を辞めました。

百日詣でを行ったり、がんに効くはずの野菜ジュース作りに1個100円もするレモンを何個も使います。

毎日、母のために行動することは、自身の心を落ち着かせてくれたそうです。

この場合、「末期がん」に向き合っていたのはどちらだったと言えるのでしょうか?

…どちらも向き合っていたのかもしれません。

ただ、母にとっては末期がんは「死」であり、息子にとっては「家族みんなで乗り越える障害」に見えていた。

お袋はこの先もずっと生き続けるんだってば!

何回も言わせないでよ!

母がもうすぐ死ぬことを受け入れられない息子
(新潮社/宮川さとし『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』第6話「百日詣でをする僕と写真整理を始める母」)

陳腐な物言いですが、私は二人のすれ違いがとても悲しかった。

冷静に考えれば、末期がんは「死」と認識し、残された時間をどう使うか、という考え方をするべきなのでしょう。

でも、私はこの気持ちもわかるのです。

私と祖母の場合

私は「祖母の死」は受け入れていると思っていました。

ですが、祖母から「これが今生の別れ!」といままでと変わらない笑顔で切り出された時、心が硬直してしまったのです。

いま思えば、自分が大っぴらに認めると本当に祖母が死んでしまう気がしてしまったのでしょう。

でも、私が認めようが認めまいが、祖母は死ぬ。

私は腹の底では「祖母の死」を受け入れることができていなかった。

祖母自身は「死」を受け入れて明るく接してくれているのに、その気持ちにまっすぐに応えられないのは、ダダをこねる子どもといったいなにが違うのか。

私は大人になったつもりでした。

だけど、都合の悪いことは受け入れられない子どものままであったことを、祖母との別れに際して思い知りました。

程度の差こそあれ、この物語の主人公と同じです。

→続きます

今日も、長いのにここまで読んでくれてありがとう!

それでは、また!

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