著者:吉原三等兵(@Twitter)
『タッチ』のタイトルの由来にファン衝撃「驚きすぎて声も出ないわ(呆然)」(2016.10.22/ダ・ヴィンチニュース)
という記事を読みましたが、いやほんとうに煽りでなく心から驚きました。
要約すると、あだち充先生に『タッチ』のインタビューをし、下記のやりとりがあったとのこと。
>質問者「なんで『タッチ』で上杉和也を殺したの?」
>あだち「最初から殺すつもりだった」
>あだち「タイトルの『タッチ』は『バトンタッチ』の『タッチ』だからねぇ。」
この回答自体に変なことはありません。・・・が。
目次
ちょっと驚き過ぎ?
別に気づいてなかった人が「へー!なるほど」のリアクションをとるのは全然気にならないんですよ。そういうことはありますよ。
ただ、ちょっと驚きすぎではないでしょうか。
「最初から殺すつもりだった」ことに関しては
直球かつ驚愕の事実をさらりと返答。
2016.10.22/ダ・ヴィンチニュース
「タイトルの由来」に関しては
天地がひっくり返るような事実
2016.10.22/ダ・ヴィンチニュース
と評します。
うーん。
ちょっと。
いや、かなり表現が過激な気がするんです。
もう少し作者の意図を汲みとってあげてもいいのかな、と思います。
(「衝撃」とか「驚愕」はネット受けが良い単語なので、大人の事情でしょうがなかったのかもしれませんけど…。)
むしろ「バトンタッチ」以外の『タッチ』が想像しにくいんです。
『タッチ』を仮に「達也」の「たっち(ゃん)」と読んだとしても、物語は兄・達也の路線で行くことはわかっているはずです。
やはり『タッチ』というタイトルをつけた以上、連載当初から弟・和也は退場させるつもりだったとしか読めないんですよ。
上杉和也が死ぬ理由
「なんで『タッチ』で上杉和也を殺したの?」と質問がでますが、やはりそのことが話の主題であったからではないでしょうか?
光りかがやく双子の弟の代わりを、パッとしない兄が果たすことになった時の苦労・苦悩、そしてそれを乗り越えることが物語の大きな軸になっています。
特に序盤から中盤の構成を見てみてください。
これは「そういう話」なんですよ。
よって、和也が登場し続けることはありえない。
殺さないまでも和也の肘や肩の故障ということで野球人生を奪うやり方もあったかもしれませんが、それだとその先の物語はもっと残酷なものになるんじゃないのかなー。
それはそれで面白いだろうけど、それって少年誌でもあだち充先生の作風でもなくなっていくでしょうね。
実はでている「死亡フラグ」
「最初から殺すつもり」だったことが「驚愕の事実」だった人は、いったん作者ははじめからそのつもりだったことを踏まえて読み返してみるとわかると思います。連載開始当初から作者は「殺る気まんまん」だったことが。
今でいう「死亡フラグ」という毒をうすーく引き延ばしながら盛ってるんですよ。
正直、読めば読むほど「死の予感」しかしてこない。
驚くところはそこじゃない!
驚くところ(1)7巻殺し
このマンガの凄いところは、和也を殺すまでに7巻もつかって完全に読み手を巣穴まで誘い込んでから殺したこと。
徹頭徹尾、これに尽きます。
だからこそ、今回の記事の作者や「ファン」とされる方々もショックを受けているんでしょう。
普通、これはできない。絶対にできないと言っていいくらい。
だって、連載に明日の保証なんてないんだから。
この「7巻までひっぱる」(仮に「7巻殺し」と名付けます)という行為は、明日の連載どころかこの先何年分の連載が保障されてないと、もしくは続けられる自信がないと無理なんですよ。
和也を殺すのが遅れれば遅れるほど「達也と和也と南の関係性」や「和也」自身を描くことができる。
しかし和也が死なねば達也の物語ははじまらない。
普通の落としどころは1巻。がんばって2~3巻ってところでしょう。
- 例1)「マンガ家もの」と思わせといて実はゾンビものだった『アイアムアヒーロー』。
- 例2)「7巻殺し」の逆手をとって、いきなり主人公を殺し一気にボルテージを上げた『進撃の巨人』
いずれも、世界観の逆転や主人公殺しで読者を混乱させることに成功していますが、こういう仕掛けも1巻程度で行ってます。
それを「7巻」までやった。むしろそこに驚いてほしい。
これは前代未聞で、ちょっと他に例が思い浮かばないです。
感情移入していた読者のダメージはいくばくか…。
驚くところ(2)死相のでてない死に顔
「ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで…。」
和也の顔はただ寝ているようにしか見えず、リアリティに薄い。
それはデメリットであるはずなんです。私はリアルな死相が描けるマンガは無条件に面白いと思ってます、基本的には。
でも「死相」ってリアルに描くと結構エグいし、なによりリアルな死に顔は作風にあわない。掲載誌も少年サンデーだし。
そこをセリフひとつで「きれいな寝顔」に「死」の説得力を持たせた演出の妙に作家のセンスが光ります。
本来、「死」を描く際にプラスには働かないはずの「毒のなさ」をこんな風に解決してしまうのはうなるばかりですね。
やられた。
驚くところ(3)ここぞという時のコマ使い
和也の顔を「白い布」が顔を覆って寝ている全身図を、1P使ってただ、描く。霊安室の闇とのコントラストが「白」を浮き立たせるんですよ。
『ドンッ』という擬音も使わないのに『ドンッ』と「死の静寂」が迫ってくるコマ割りは圧巻の一言。
この他にも地区予選の決勝戦で須見工の新田明男を打ち取るシーンでも、全然関係ないプールに飛び込む女性のワンカットを挟んだりして、絶妙の「間」を入れた上で、ど真ん中に構えられたミットに収まったボール(つまり三振)を持ってきています。
巧い。
驚くところ(4)バランス感覚
ライバル・新田との最後の対決の際に、和也が乗り移ったかのような錯覚・影を感じるワンカットがあります。
あれには「ゾクッ」と来ました。
はじめて読んだときは「和也の魂が乗り移って力を貸してくれた」かのようなスピリチュアルな解釈しかしてなかったんですが、あれから時がたち自分でも野球をやるようになってからは別の解釈もできるのかと思っています。
まず達也が見ていた和也の投球フォームが、無意識に達也が目指していた理想のフォームだった、と考えるんです。
それって、全然不自然なことではないと思うんですよね。
いつも金網越しに活躍していた自分とそっくりの弟。
脳裏に焼き付いていたとしてなんの不思議があろうか。
そして、最終局面で集中力が最大限に発揮されたあの瞬間のメンタル。フィジカル的にも疲れて余計な力が抜けたあの状態であったからこそ、「理想のフォーム=和也とまったく同じフォーム」で投げることができた、そこに達也は和也を体感した、そういう解釈もできるのかなと思っています。
例えば、あだち先生があそこで完全に「和也の魂」として描いていたらそんな解釈の余地も残さないわけで、先生のバランス感覚を感じますねー。
なんでも読者に説明すればいいというわけではないのですよ。
あくまで、サラッと描くんですよ。あだち先生らしいです。
『タッチ』のタイトルの由来にファンが衝撃を受けていることに衝撃を受けた話・まとめ
上記のような感じで、もっと凄いところっていっぱいあるんじゃないかと思っていたんですが、記事ではタイトルの話でかき消されてしまっているんですよね。
ちょっともったいない気もします。
2016年10月12日(水)発売の『月刊少年サンデー(ゲッサン)』で、ネタ元のインタビュー記事が掲載されているそうで、その原本をまだ読めてないのですが、そこでは語られているのかなー。
読んでみたいなー。
※後日、読みました。面白かったです!
それでは、また!