著者:吉原三等兵(@Twitter)
先日、世界の中でも「幸福な国」として知られるデンマークに伝わる「ヤンテの掟」という記事を見かけました。
参考 世界の中でも「幸福な国」として知られるデンマークに伝わる「ヤンテの掟」Gigazine「ヤンテの掟」とは、つまるところ自分が「平均以下の人間」であると認識し、ゴール設定を「平均的な生活」に置くことで、平均的な生活を手に入れた時にそれで満足することができる「10ヶ条のルール」なのだそうな。
へぇ~。
1:あなたが特別な存在だと思ってはならない
2:あなたが人と同様に有能だと思ってはならない
3:あなたが人より賢いと思ってはならない
4:あなたが人より優れているとうぬぼれてはならない
5:あなたが人より物知りだと思ってはならない
6:あなたが人より重要だと思ってはならない
7:あなたが人より何かに秀でていると思ってはならない
8:あなたは人を笑ってはならない
9:あなたが誰かに助けてもらえると思ってはならない
10:あなたが人に何かを教えられると思ってはならない
ところで。
常々私は「幸せ」に絶対の価値を置く、「幸せ真理教」にはハマっちゃいかんと主張しています。
バカにならない数の人が、表層的な幸せを追いすぎなんですよ。ちょっとこの機会に整理してみたいと思います。
▶「人は幸せになるために生まれた」わけではない。【前編】キリンジに学ぶ幸福論/ヨシハライブラリ←今ここ
▶「人は幸せになるために生まれた」わけではない。【後編】マンガに学ぶ幸福論/ヨシハライブラリ
それでは、よろしくお願いします!
目次
「ヤンテの掟」幸せを感じるテクニックの是非
「ヤンテの掟」そのものはもっといろんな示唆もあるかと思われますが、記事の主旨となっている論理としては、「基準となるハードルを下げると、ちょっとのことでも幸せ」ということになります。
有り体に言えば、幸せを感じやすくするテクニック…ですね。
しかし、多くの人が人生の目的と感じる「幸せ」というものは、そんなテクニック的なもので片づけられてしまっていいのでしょうか?
相対的に「幸せ」が感じられれば、それで良い。…というようなものなのでしょうか?
そもそも「幸せ」とは一体なんなのでしょうか?
「幸せ」とは感情である
こういった講題の検討は、まず言葉の定義づけが大事。
「幸せ」とはなんでしょうか?
「にしすーごと。」(現在削除)というブログで、女子高生ブロガーのにしすーさんは「幸せとは、自分の欲求が満たされたと感じたときに表れる感情。」と主張されていました。
哲学または生理学等の力を借りれば、理屈をこねていろんな定義づけができるでしょうが、現代日本における普段着の「幸せ」の定義としては適切だと思います。
ここでは、にしすーさんの定義で進めさせてください。
- 幸せは感情である
- 幸せは欲求を満たすことで感じられる
人は幸せになるために生まれた?
歌や書籍でよく聞く、耳に心地の良いフレーズです。
では。
「幸せ」が感情であるとして、「幸せになる」とはどういうことでしょうか?
「幸福感」で満たされた毎日を指すのでしょうか?
キリンジ『ハピネス』の一節
ここで、キリンジの『ハピネス』という曲の一節をご紹介します。
あぁ、特に説明するまでもない事ですが、皆さんご存知のとおりキリンジ(KIRINJI)とはとてつもなく素晴らしい最高なバンドです(説明終わり)。
参考 PROFILE 1997-2019キリンジ / KIRINJI『ハピネス』
ハピネスはピンクのシャンパンの
泡のようなものだと君は信じてるの?
気の抜ける前にグイッと飲み干して
注ぎ足さねばならないものだと言い張るの?
グラスに皹が入っているのに
キリンジ『For Beautiful Human Life』収録-「ハピネス」/ユニバーサルミュージック
ピンク、シャンパン(アルコール)、泡、グラス、皹(ヒビ)。
印象的な単語を抜き出すだけで、この歌詞の持つ「幸福に対する観念」があらわになるようです。
「幸せ」はピンクのシャンパンの「泡」だって?
生まれては消え、人を酔わせ、放っておけば気が抜ける。
だからその前にすべてを飲み干して、新しく注がなければならない。
君は、誰かに「幸せ」を注ぎ続けてもらうことを望んでいるのかい?
すでにヒビが入ったそのグラスに。
そんな意味合いでしょうか。
まるで、中国の故事にでてくる「トン」のように、貪欲に「幸せ」を求め続ける様が目に浮かびます……(『蒼天航路』冒頭のアレです)。
トンはどうなったか?
太陽を飲み込もうとして海に沈みました。
そうです。
赤子の頃ならともかく、そんな毎日はいつまでも続きません。
どうあっても、単純な快楽としての「幸せ」が毎日欲しいのであれば、酒やクスリ、宗教の力を借りなければならないかもしれません。
「幸せ」のおかわりコールよりも大事なもの
男性側からのプロポーズ時に「絶対幸せにします!」って言葉が常套句としてありますけど、それって「幸せ」という感情を感じるネタを投下し続けることを約束する言葉なんでしょうか?
そういう意味だ、と仮定して。
もし自分が女性だとしたら「私はあなたに幸せにしてもらわないと、幸せになれないのか?」くらいは聞くかもしれない。
だって、別に頼んでないし。
「幸せになりたい」って誰が言ったのか、って話。
要は、「幸せ」というよりも「納得」があればいいのです。
「幸せ」にはなれなくてもいいけど、「納得」ができない人生はイヤだ。
「納得できない」ってことは納得できないってことです。
そんなん納得なんかできませんよ、イヤに決まってるじゃないですか。
だって納得いってないんだから。
荒木飛呂彦『STEEL BALL RUN』において、ジャイロ・ツェペリが言っていましたね。「『納得』は全てに優先するぜッ!!」と。
キリンジ『それもきっとしあわせ』の一節
では「幸せ」よりも大事な価値観について検討してみましょう。
キリンジの『それもきっとしあわせ』はこんな出だしから始まります。
好きな人がいて愛されたのなら
それはきっと幸せ
着たい服を着て 言いたいこと言えば
それもきっと幸せ
キリンジ『KIRINJI「SONGBOOK」』収録-「それもきっとしあわせ」/日本コロムビア
こういった、いわゆる「幸せ」をいったん肯定しつつも、こう歌い上げます。
歌いたい歌がある
私には伝えたい想いがある
そのためになら そのためになら
不幸になってもかまわない
キリンジ『KIRINJI「SONGBOOK」』収録-「それもきっとしあわせ」/日本コロムビア
「好きなことをやっていれば幸せ」とは、多くは他人の言葉で評されるもの。
特に経済的・社会的に評価されていない人が「好きだから」続けている生活って、そうそう簡単に「幸せ」とは表現し辛いものです。
そりゃ、やってることに対しては幸せですが、すべての欲求が満たされるとは言えず、大変なことや不安なことも多いですから。
でも、続ける。
一般的な意味で「不幸」であり、満たされぬ欲求が多いことを認めてもなお、選択したい生き方がある。
それを見つけられた人間の「人生の意義」。
それこそが、欲求が満たされるかどうか、などという些末な「幸せ」を超越する生き方でしょう。
後編、▶「人は幸せになるために生まれた」わけではない。【後編】マンガに学ぶ幸福論/ヨシハライブラリ
に続きます。
次回の記事で、表層的な「幸せ」を超える価値というものを、マンガ作品を例に取り上げながら見ていく予定。
それでは、また!
(For Beautiful Human Life-「ハピネス」収録)
(SONGBOOK-「それもきっとしあわせ」収録)