「人は幸せになるために生まれた」わけではない。【後編】マンガに学ぶ幸福論

マンガに学ぶ幸福論

著者:吉原さん(@yoshihara_san

【前編】JKとキリンジに学ぶ幸福論と題して、「人は幸せになるために生まれた」わけではない、という主張をしてきましたが、【後編】ではこのサイトのメイン材料であるマンガを題材にして語りたいと思います。

要は「幸せについて本気出して考えてみたら 意外に無くてもいいんだと気が付いた」という話です。

それでは、よろしくお願いします!

マンガ作品が語る「人生の意義」

では、福本伸行『天 天和通りの快男児』を皮切りに、ここからは様々なマンガ作品における「人生の意義」の例を見ていきましょう。思いつく範囲を簡単に列挙します。

ひとつひとつで記事を起こせるほどの内容なのですが、それをここでやってもお腹いっぱいになるので、端的にご紹介するに留めます。

福本伸行『天 天和通りの快男児』

赤木しげる

「無念が『願い』を光らせる……!」

「嫌いじゃなかった…… 何か『願い』を持つこと そして… 同時に 今ある現実と合意すること…!」

「不本意と 仲良くすること…… そんな生き方が 好きだった………」

『天 天和通りの快男児』赤木の人生観
(竹書房/福本伸行『天 天和通りの快男児』18巻 第162話「無念」)

天才・赤木しげるでさえ、ままならぬのが人生。「幸せ」を求めることは肯定されても、それが叶わなかったといって、人生そのものの価値を疑う必要などないのです。

新井英樹『宮本から君へ』

新井英樹「人の寿命が無限なら仕事がただの生活の手段でも日銭を稼ぐ手段でも構いません。生きてる時間が有限だから仕事に意味や目的が欲しいです。」

『宮本から君へ』3巻巻頭
(講談社/新井英樹『宮本から君へ』3巻 巻頭)

逆説的ですが『ジョジョの奇妙な冒険』第3部で、DIO様が言ってましたよね。無限の生命があるので、過程や方法などどうでもよいって。

我々は「限りある生」だからこそ、生き方を問いたいって話です。

業田良家『自虐の詩』

幸枝「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」

『自虐の詩』人生には明らかに意味がある
(竹書房/業田良家『自虐の詩』下巻 「再会」)

多くの人が幸不幸にとらわれ過ぎているのは、SNSを覗くだけでもわかりますよね。もっと違う尺度で人生の意味を見出す努力が、我々には必要かもしれません。

藤田和日郎『うしおととら』

うしお「泥なんて何だい!」

『うしおととら』うしお「泥なんてなんだい!」

真由子「きっとその人達… 泥に汚れちゃうより、大事なこと… あったんじゃないかなあ。」

『うしおととら』泥に汚れるよりも大事なもの
(小学館/藤田和日郎『うしおととら』ワイド版10巻 第三十章「愚か者は宴に集う」其ノ六「泥と帽子」)

晴れ着を台無しにして、父親にも怒られる。そういうことがわかっていても「意義」を見出し「泥」にまみれた少年・うしお。

この思い出は、幼かった真由子の中に「泥」に汚れるよりも大事なことがある、という価値観を刻み込みました。この出来事を念頭に置いた上での、やりとりが下記です。

などか「満足する死とは―――何だ?」

『うしおととら』などか「満足する死とはなんだ?」

真由子「オバケ… 質問に答えるわ。泥なんて…」

『うしおととら』真由子「泥なんて…なんだい、よ」
(小学館/藤田和日郎『うしおととら』ワイド版10巻 第三十章「愚か者は宴に集う」其ノ八「真由子ととら」)

値(あたい)する「意義」があれば、死さえも辞さない。「泥なんて…なんだい」、そういうことです。

柴田ヨクサル『エアマスター』

佐伯四郎「じゃあ 人生の意義とは何だ?」

坂本ジュリエッタ「魂の燃焼だ」

『エアマスター』坂本ジュリエッタ「魂の燃焼だ」
(白泉社/柴田ヨクサル『エアマスター』7巻 第51話「愛していると言ってくれ」)

私が個人的に出していた「人生の意義」に対する暫定的アンサーと寸分違わず一致。これを取り上げないわけにはいかないでしょう。

皆さん、今日から私のことは吉原ジュリエッタと呼んでください。(すみません。やっぱいいです)

要は”熱”を持って生きていこうって話です。

皆さん、ドキドキしてる?

マンガが作品が語る「人生の意義」まとめ

いかがでしたでしょうか?

短いセンテンスですが、作者の先生方が考える「人生の意義」へのエッセンスが感じられたかと思います。

それぞれ、ひとつひとつ記事に起こしたい内容ばかりですね。

赤木しげる先生に聞く「人生の意義」

ここだけは、ちょっと長くなってしまうので、別枠にします。

『アカギ』や『天 天和通りの快男児』に出てくる赤木しげる先生から、これ以上ないくらいわかりやすく「人生の意義」が語られますんで、ちょっと引用が長くなるのは勘弁してください。

これでも抽出して書き起こしているので、未読の方はぜひ『天 天和通りの快男児』のラスト3巻、16、17、18巻を読んで欲しい!

この3巻だけでテーマ的にもはや別作品として完全に成立しているので、本編をまったく知らない人でも読むことができます。麻雀マンガだったハズですが、麻雀なんかまったくわからないくていい。アルツハイマーに侵された男の尊厳と死生観がテーマとなっています。

それでは、最終巻18巻より、ご紹介いたします。

あらためて…福本伸行『天 天和通りの快男児』

赤木しげる

「誰だって成功したい……! 分かりやすい意味での成功… 世間的な成功…! 金や地位 名声……… 権力 称賛………」

「そういうものに憧れる… 欲する…! けどよ……」

「ちょっと顧みれば分かる…! それは『人生そのもの』じゃない…!」

「そういうものは全部… 飾り…! 人生の飾りに過ぎない…!」

「ただ… やる事… その熱… 行為そのものが… 生きるってこと………! 実ってヤツだ…!」

『天 天和通りの快男児』赤木の語る生きる意味
(竹書房/福本伸行『天 天和通りの快男児』18巻 第157話「飾り」)

まさに、、これ。

私は今まで生きてきて、これ以上の解が出せません。

思い返せば、上手くいかないことだらけ。たくさん恥もかいてきましたが、熱に浮かされたような30年でした。

まとめ…られてしまった

まとめもなにもあったものじゃない…。赤木しげる先生が全部持ってっちゃった。

上記のまんまです。

「ヤンテの掟」のようなものは「幸せ」のチューニングテクニックなので、それは随時必要な人がそれぞれの判断で使えば良いだけ。生きることの意味は別の場所にあります。

さて、付け加えることがないくらい赤木先生がまとめてしまった後で恐縮なのですが、他人のふんどしでばかり相撲をとってるわけにもいきません。

せっかく大上段に構えたテーマ。私も自分なりにまとめてみます。

きっかけは「死」を意識したこと

「死」という概念を知ってから、私は「どうしたら、死ぬ時に満足した状態で死ねるのだろう」と折々考え続けました。「いつか自分が死ぬ」ことがどうにも頭から離れない。

ラテン語の「メメント・モリ」ってやつですね。「死を記憶せよ」。

だって、死ぬのが怖かった。自分が「無」くなってしまうことが不安だった。

暫定的であってもそれに対して答えを出さねば、漫然と生きているのが落ち着かない…。そういう感覚だったと思います。

で、考えてたことが、今回の講題。

「幸せに生きられれば、満足して死ねるのか?」

これに対して、「Yes」が心の中から出てこなかったんですね。

「人は幸せになるために生まれてきたのではない。」

ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』の中での一節です(※続く言葉があるんですが、あえてここだけ抜き取ります)。

この一文こそ、私が子どもの頃から直観していた価値観。そこだけは、なぜかわかっていた。

しかし。

では「幸せ」が目的でないとして、一体、何を目的に生きるのか?

心の中では問答が繰り返されました。

贅沢をして生きられれば満足なのか。→人間の欲はそんなに浅くないし、なにより終わりがない。

社会的に成功して栄誉が与えられれば満足か。→他人の評価をそれほど重要視できない。

好きな人と結婚できれば満足か。→ん?それはちょっと満足かも。

じゃー、それだけで満足して死ねるか。→いや、そういうことじゃない…が。

→でも今ちょっとわかった。「自分」だ。「自分」に鍵がある。「自分」の心が動くことをしよう!

→「自分」の中では、好きな人との生活は「幸せ」を超えた別の価値だ。通り一遍の「幸せ」を求めてなされるものではない。

→そういうものを探して、積み重ねられれば、「満足して死ぬ」ことができるかもしれない。

・・・幼い時分にどの程度言語化できていたかは別にして、観念的には大体そういう経過を経て、結論に至ったことを覚えています。

結論がでた日はやっと「死の恐怖」から逃れられてホッとしましたよ(笑)

「逃れられる」というとちょっと違うか。怖いものは怖いんですが、それでも比較的平静に付き合えるようになりました。

少し違いますけど、「悲しみよ、こんにちは」みたいな感覚。

ネガティブな概念と平常心で向き合えるようなスタンスを得ました。

ただ、このことがきっかけで、半ば確信的に「自分」の価値観を最優先させる「俺が正しい」モンスターを生んでしまっているのですが、それはまた別のお話…。

まとめ

さて。

幼少期に立てた基本方針は、現在も大きく変わるところはありません。

運用方法に問題が無かったとは言えませんが、我ながら、なかなか耐久性のある良い方針だったとは思います。

が、人生は世知辛いですね(苦笑)

実際のところは「好きなことをやる」というよりも「嫌いなことをやらない」ように努めるのが精いっぱい。

夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり(三橋鷹女)

を座右の銘とし、今日もこの世界の片隅に生きています。

皆さんの「人生の意義」はなんですか?

それは、表層的な「幸不幸」ではない方が、結果的にあなたへ「人生への充足感」を運んでくれるのではないか、と思います。

それでは、また!

16巻→赤木との告別[上巻]

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17巻→赤木との告別[中巻]

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18巻→赤木との告別[下巻]

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