著者:吉原三等兵(@Twitter)
さて。
"暴力"
眉をひそめる人も多いと同時に、エンターテイメントの代表格ともいえる要素のひとつ。
今回は「暴力」をテーマにしたマンガの是非を問うてみたいと思います。
「是非を問う」なんて言いつつ、私が思う「是」を述べるのが主な目的。
でも、「非」と言いたい人の気持ちもわかるところもあり、ちょっとそういう人たちに向けて自分の考えを表明しておきたいと思って今回の記事を書きます。
それでは、よろしくお願いします!
目次
「暴力」は本来ストレスの元
いきなり違う話で恐縮ですが、私の一番好きな映画はコッポラの『ゴッドファーザー』です。
そのことを母に話した時に「でもあの映画って銃で撃ったり、血が出たりするでしょう?」とか言うわけです。
………さて。
苦手な人にとっては、もはや原理的に敬遠される要素でもあるのが、"暴力"という要素なのですが、正直わからなくもないです。
殴ったり殴られたり、血が出たり出させたりっていうのは、そりゃあ、心身ともに負荷のかかることであって。
ごく目の前のバイオレンスの現場に際して、肉体的・精神的に緊張感の高まらない人って普通はいないですよ。
恐怖に委縮するか、一気に集中するか。どっちにしても心拍数は上がって緊張感が走ります。
楽しいことじゃ、ないですね。
だからと言って、『ゴッドファーザー』を全否定せんでもいいじゃないか…、と思わなくもないんですが、要はそれ一個とっても映画全体が目に入らなくなるほど苦手な人がいるって話です。
イヤですよね、暴力は。はい、確かに。
アクション映画は苦手だった
今はそうでもないんですけど、子どもの頃は「アクション映画」ってジャンルが苦手でした。
当時の自分にとっては、「暴力を抜いたら何もない」ジャンルでしたし、今思えばそもそも"暴力"に過剰反応してたんだと思います。
と、言うのも。
私は幼い頃は(あれ?今もか…)ガマンの効かない性格で、中学を卒業するまでは学年で一番とっくみあいのケンカをしていました(弱いのに)。
なので、普段自分でやったりやられたりしているから、いわゆる「暴力」っていうものが全然愉快じゃなかった。
殴られれば痛いし、殴っても"不快"って感覚が染みついてる。頭の中の「戦闘スイッチ」が入ってないととてもそんなことできない。
つまるところ、平常心の時に映画の形で「暴力」を見せられても、絵空事としてカッコよくみることが出来なかったんです。
暴力の「場」の空気や殴られた相手方が気になって、アクションヒーローのカッコよさに目がいかないんですよね。
とにかく「暴力」を「アクション」として素直に楽しむことには抵抗感が強かった。「これはエンタメの対象として観てはいけないものだ」と感じていたような気がします。
実際、正義の名の下の暴力や、エンターテイメントとして抽出された暴力でなければ本来なかなか楽しめないものだと思います。
ドバッと鼻血でるの見るだけでも結構"くる"ものがありますよ、自分だろうが相手だろうが。
そして、なんか口の中がカラカラしてて、吐いてみたら砕けた歯だったりなんかした日には…。
引く引く、そんなの。
暴力って一歩引いた位置にいないと、なかなかきついです。
コロッセオの剣闘士と観客の関係ですね。
それでも内在する"強さ"への憧憬
とは言え、ですよ。
嫌いだから無視できるか、と言えばそういう話でもありません。
例の一つとして保育園くらいを挙げてみましょう。
小さい頃は他人と比べて単純に"暴力性"を身につけた子どもがどうしても権力を握ります。
「強いかどうか」っていう尺度は自分たちの生活に強く関わってくる部分なので、いずれにしても注視せざるを得ないんですね(特に男)。
そして、そういった面以外の根源的な興味もまたぬぐえない面が。
板垣恵介『グラップラー刃牙』において「世界最強を夢見たことのない男はいない」という主旨のセリフがあったと思うんですが、「うお」と感じたことがあります。
確かにー。
小さな子どもたちだって、戦隊ものや仮面ライダーが大好きです。本能的なものかどうかは知りませんが、私個人としては、こんなにも暴力の危険性や不快感を持っていたとしても、強さに対する憧憬って確かに内在していました。
翻って。
自分が行使したり相手に行使されたりする際の、暴力そのものへの"恐怖心"や"不快感"とは別に、単純な生命としての強さそのものへの興味は矛盾してないんですよね。
テレビを眺めてても、洗練された強く美しい生命に惹かれる自分がいます。
特に子供時分のNHK『生き物地球紀行』の捕食シーンには高揚を隠せませんでした。
捕食こそは生命そのものの輝きであり、捕食シーンのない動物番組なんて画竜点睛を欠きます。動物の動きに効果音なんか入れて視聴者にすり寄ってんじゃねーよ、と(あ、話がそれました)。
そういえば、8~9歳くらいの頃クモがトンボだとかカメムシだとかを捕食するところを延々と見てて熱中症みたくなったことがありました。
なぜ"捕食"に魅入られていたのか。
それは(その時点の)強者が、(その時点の)弱者を屠るという圧倒的暴力でしたが、同時に生命そのものやこの世界そのものの本質の一端を、確かに表していたからでした。
そうなんです。"暴力"とは無視できない、世界のありようの一端なのです。
マンガの「暴力」という要素、その是非
特にマンガだからどうだ、という話ではなく映画やなんやかんやのこれまでの話と一緒ではあるのですが、その是非とは、"暴力"という要素をどのように取り扱うのかで変わってくると思います。
エンタメとして用いられる暴力
コロッセオの中で行われる暴力や、リングの上の暴力。
また、アクション映画などのエンタメ作品がこちらにあたるでしょうか。
ジェット・リーの映画を見て以来、ある種の美しさを感じた私は一定アクション映画を観れるようになりました。
「エンタメ暴力」はマンガで言えば少年マンガに多いですね。
これはもうエンタメの世界の話ですから、距離をとって楽しめる人は楽しめばいいし、嫌いな人は嫌いでいいし、ただそれだけの話だと思います。
ただし。
なんでもかんでも「表現の自由」の名の下に暴力描写が垂れ流されるべきではないと考えてます。特に性暴力描写。
単なる「エンタメ」というか欲求を満たすことだけが目的のような作品では、ある程度の制限が必要でしょう。
世に問わねばならない"意味"が薄く、社会が許容すべき範囲を逸脱している面があると言えます。
"人それぞれ"という価値観の限界点です。
なんでもかんでも"人それぞれ"ではすませられない。
テーマを描くための必須要素としての暴力
例えば白土三平『カムイ伝』における"暴力"は、物語のテーマを浮かび上がらせるために必須のものです。
個としての暴力的な才能が突出していたはずのカムイが、さらに大きな権力という力のうねりに抗いきれない無力さが印象的です。
中沢啓治『はだしのゲン』や、こうの史代『夕凪の街』では、原爆という人類史に残る圧倒的"暴力"によって、徹底的に生活や人生が破壊された人々の生き様が描かれます。これも原爆という暴力装置抜きには描けない作品です。
また新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』においては、その克明な暴力描写が話題となりましたが、無軌道な暴力の行きつく先まで描き切ったという意味でも、必要不可欠だったと言えます。雪山でのマリアの見開きは圧巻でした。
暴力そのものがテーマの作品
最後に紹介するのは、"暴力"という根源的な要素そのものを一つのテーマとして扱った作品。
こういう作品、ね。なかなか無いんですよ。
読み手の気持ちよさのためだけにエンターテイメントとして暴力を開陳するのとはちょっとわけが違う、似て非なる作品なんです。
いや、「エンターテイメントとしての暴力」を全否定しているわけでは全然ありません。木多康昭『喧嘩稼業』はエンタメとしての暴力の極致ですね。非常に面白い。
だけど、「違う」んですよ。根源的・原始的な暴力衝動を通して「人間を描こう」とする作品は。
テーマがテーマなだけに危うさがあることは確かなのですが、安易なエンタメに堕さず、真摯に挑むのであればまた違う境地が現れるはずです。
こんなマンガ、皆さんも読みたいと思いませんか?
あるんです。
吉沢潤一先生の『足利アナーキー』です。
マンガにおける「暴力」要素の是非・まとめ
実は、この記事の真の目的は吉沢潤一先生の『足利アナーキー』の紹介のための前フリです。
『足利アナーキー』とは栃木県・足利市を舞台にした高校生ギャングたちのマンガ作品。
冒頭の母の話に戻りますが、暴力描写は「ダメなものはダメ」と毛嫌いする人が多い要素だということも事実。
しかし、いわゆる「ヤンキー漫画」という、ヤンキー文化や暴力描写、仲間や絆のエンターテイメント作品とはまったく一線を画す作品であり、普段は苦手と考えている人も一見する価値があります。
いや、似てるんですよ。似てるんです。どうジャンル分けするかって言われればそりゃあ「ヤンキー漫画」になってしまうのかもしれません。ですが、それはやはり「似て非なるもの」。ヤンキー漫画はヤンキー漫画が好きな人(私も好き)が読めばいいんですが、この作品はもっと多くの人に読まれるべき作品だと考えています。
次回から記事にしていきますので、どうぞよろしくお願いしたい!
▶『足利アナーキー』不良マンガの新境地!喧嘩の肌感覚あふれる意欲作/ヨシハライブラリ
それでも苦手な人はスルーして!
それでは、また!
あわせて読みたい
記事中に出てきた、『足利アナーキー』をご紹介します。めたくそ面白いdeath。
吉沢潤一『足利アナーキー』
なぜか作者がぶん投げて終わってしまった平成の健康優良不良少年マンガ。
(作者に対してくみとってあげられなくてすみませんな気持ち。なにに悩んでいたのか)
ハウツー満載であることもさることながら、作者に熱があっていいです。熱が。それがなによりです。