著者:吉原三等兵(@Twitter)
ダ・ヴィンチニュースのさわぐちけいすけ先生の連載で「理想の夫婦」について語られていました。
参考 【連載】 第19話 「理想の夫婦」『人は他人 異なるからこそ面白い』ダ・ヴィンチニュース作者のさわぐちけいすけ先生は、結婚を控えた際に「理想の夫婦」を問われ、
「各自が1人でも生きていける夫婦」
と答えます。
(さわぐち先生)
各自が1人でも生きていける夫婦
(友だち)
…2人で生活するのに?
さわぐちけいすけ『人は他人 異なるからこそ面白い』第19話「理想の夫婦」
今回は、ちょっとこの件についてさわぐち先生のアンサーに異論をはさみつつ、アンチには反論してみます。
双方向射撃で恐縮するんですが、違和感が無視できなかったので(とくにバッシングの方に)頭の整理のためにも記事化。
目次
さわぐち先生への異論
まずはじめに私自身のさわぐち先生への異論を。
私は、「各自が1人でも生きていける夫婦」は、理想ではなく、「原則的な前提条件」だろうと考えます。
そして、それはある程度社会でも共有されているはずの価値観ではないでしょうか?
自立していない人間とパートナーシップを結ぶのはリスキー
例えば。
あなたの父親、母親を考えてください。
仮に自分が結婚相手を連れて行った場合、どこを重要視するでしょうか?
経済力?
健康?
価値観?
生活力?
優先順位等細かい違いはあるでしょうが、概ねこんなところでしょう。
それらは、何を指すのか。
ひとえに自立しているかどうかを測る指標です。
好意の有無も重要でしょうが、そこは当然に満たしていると仮定して、その他の部分に目を向けるわけですね。
そうです。
各自が一人で生活できる程度には自立してなきゃ負担が増大するわけです。
誰の負担が増すんですか?
自立していない人間をパートナーとする側の人間が、です。
パートナーに経済力がないと、もう片方への経済的負担が増します。
パートナーが健康でないと、もう片方への生活的負担・経済的負担が増します。
パートナーが依存体質であれば、何に依存しているにせよ(酒、ギャンブル、怪しい神様、実母、またパートナー本人等)、負担になりえます。
「バーモントカレーの甘口しか食えない」とかいった価値観は些末なことですが、自立した精神の持ち主でなければ我が子を託すには心配なのは当然のことでしょう。
もう単純にリスキー。
個別の事情・特段の理由がある場合は別にして、そういった要件を親なり周囲なりが気にするのは当たり前だと思います。
結婚は法的にも運命共同体ですからね。
「自立」は必要条件か?
では、具体的に「各自が1人でも生きていける」ことは必要条件とまで言えるでしょうか?
あらゆる意味で「自立」していないと、絶対ダメ?
ちょっとそこまでは言えないですね。
人によりけり、状況によりけりでしょう。
結局決めるのは二人ですから。
具体的な事例の中には、借金があっても、大病があっても、障がいがあっても、怪しい宗教にはまっている相手であっても所帯を持ちたいということはあるはずです。
全然否定はしません。
(ちなみに私は無職の時に結婚しました。妻の両親はよく許してくれたなぁ、と思います。)
だから、あくまでも「原則的な(つまり、いくらでも例外がありうる)前提条件」なのです。
- 金よりも大事なことがある
- 病や障がいがなんの妨げにもならない
- 好きな人とともに神の道を歩む
そんなことだって、あると思います。
あくまでも当人同士が、個別に、そして総合的に判断すること。
ただ、一般的・原則的にパートナーに求められることは、「自立していること」であり、
「息子(娘)さんがいないと生きていけません!!」
と言い放つ人間が我が子に求婚してきたら、重いし怖いし危ういとしか言いようがないですね。
しなくてもいい苦労はしてほしくないのが親心ですから。
うちの従兄弟がパートナーに求めることは、「もし自分が突然死んだとしても、子どもをしっかり育て上げてくれる人」だそうですが、ごもっともとしか言い様がない。
大事な視点のひとつだと思います。
さわぐち先生への異論・まとめ
以上のことから、「各自が1人でも生きていける夫婦」は、理想というより「原則的な前提条件」と考えます。
「結婚」がお互いに対等なパートナーシップを結ぶ関係であると仮定すれば、まずはこの通り。
アンバランスな関係は共倒れのリスクが高くなるからです。
その上で、2人の特性に応じた色んな形が、夫婦の数だけあっていいのでしょう。
(基本、他の夫婦の在り方までは意見したくないスタイル。リスクとる自由も、共倒れする自由もある。)
…ということで、"異論"とはしましたが、さわぐち先生が「理想」と表現したのが、(場合によっては満たされていなくてもかまわない)という意味で使用しているのであれば、概ね同意と言ってもいいと思います。
さわぐち先生への反論の反論
主旨のみの掲載といたします。
友だち氏
作中の登場人物ですね(笑)。二人で生活するから余計に、です。
「これから所帯持つんだから、今まで以上にしっかりしなきゃ」って感覚とか普通に無いんですかね?
これからは、自分だけでなく、相手の人生にも責任を負わなきゃいけないんですから。
(その分、相手もこちらの人生を負ってくれるんですが)
次です。
A氏
逆です。子どもがいるならなおさらお互いが自立していることが求められます。
家事は得意でなくてもいいから「最低限こなせる」レベルにないと、どちらかが動けない時に困るは困る。
また経済力も片方がつぶれたらおしまいではリスキーすぎ。それぞれ生きていける程度はあった方がいいのは当然。
金は無いよりも有る方がいいのです。
無いとダメかどうかはそれぞれが状況と価値観を勘案の上、判断したらいい。
次です。
B氏
嫌なら別れられるって素敵じゃない。
逆に金がないと繋ぎ止められないパートナーに側にいてもらってうれしいですか?
うちの祖母は自分の娘たちに「女こそ手に職つけないと」と言っていたとか。
対等な人間同士、嫌われれば相手が離れていくのは当然のこと。
それが嫌なら相手に敬意を払って関係を維持する努力が常に必要。でも、それって人付き合いの大原則じゃないですか?
次です。
C氏
わけがわからない…。
こういう方にとって、「愛」とは依存のことなのでしょうか。
愛憎だけでつながる男女の不幸もあります。
大人ならわかるでしょう。
ここは、新井英樹『愛しのアイリーン』の女衒・塩崎さんの言葉からひと言引用します。
(塩崎)
お前の そして俺の、
俺たちの父母の不幸は、愛憎のみで 結ばれてしまった事だ。
新井英樹『愛しのアイリーン』2巻 48「予感」/大都社
ポイントは愛憎「のみ」で結ばれたことが不幸、とするところ。
愛憎以外に勘案しなければならない点がある、ということです。
しかし「自立した人間同士が求めあう」ってそんなに変ですかね…。
「愛」とは常に共依存…? 怖いなぁ。
次です。
D氏
他人が「自分の理想」を語ってるだけじゃないですか。
他人の他人による他人のための価値観に傷つく必要はありません。
仮に、大谷選手がメジャーで二刀流で活躍し続けることを理想としたとて、独立リーグからプロを目指す選手が傷つく必要はありません。
一人ひとり皆が、違う道を歩むのです。
自身の価値観を大事になさってください。
私の「理想の夫婦」
さて。
さわぐち先生の「理想の夫婦」を「それは原則的前提条件」とした私ですので、自身の「理想の夫婦」像も示しておきたいと思います。
(そこをボカしとくのも卑怯な気がするので。)
これも、新井英樹『愛しのアイリーン』からの引用になるのですが、ひとまずお読みください。
(塩崎)
人は…
互いが互いを この世で一番幸せにできる者同士が 結ばれるべきだ。
新井英樹『愛しのアイリーン』2巻 48「予感」/大都社
初見の際、さすがにハードルの高さを感じました。
なんせ 世 界 一 ! でなければならないわけですから。
なんぼ世間知らず・怖いもの知らずの学生時代でも、そこまで傲慢ではなかった。
きっと、私より妻を幸せにできた人間だっているはずです。そりゃあ、そう。
私だって、どこかでボタンひとつ掛け違えていれば、別の女性と一緒になることだってありえたかもしれませんし、今も一人で生きていたかもしれません。
しかし、改めて考えたい。
まったく、リアルな話。
今、この時、世界で。
自分ほど妻と同じ時間を過ごし、自分ほど妻の価値観に触れ、自分ほど妻と利害関係が一致する人間ってこの世にいないわけです。
(子どもがいれば特にそう。子どもの自立や幸せ以外は考えられない)
そうしたら、妻をこの世で一番幸せにできる候補の世界ランキング暫定1位(本日時点)はどう考えても自分ですよね。
これは、当てはまらない夫婦も多いでしょうが、存外多くの夫婦が当てはまるはず。
だったら!
やっぱりそうありたいですよ。
人に誇れるほどストイックに取り組んでいる、とは恥ずかしくて言えません。
失敗をする「普通の夫」であり「普通の父親」ですが、「自分が出来うる上限まで、妻を幸せにしたい」と思うのは素直な気持ちです。
これが、私の「理想」です。
ですので、「理想の夫婦」とは結婚した瞬間になれるものではなく、それが限りなく理想に近いものだったのだ、と証明し続ける努力が必要と考えています。
「不断の努力が求められる」という意味で言えば、さわぐち先生の理想像と同じですね。
さわぐち式「理想の夫婦」に異論を唱えつつアンチには反論・まとめ
これらは、私の理想であって、あなたの理想とは違うでしょう。
ただ、それでも。
片方もしくは両方が、概ね不幸・ずっと不幸、という結婚は悲しいですね。
自立した二人であれば、そのリスクを下げることに繋がると思います。
※「別れる」という選択肢を、前向きに選択できるケースも含めて。
歪な依存関係ではなく、バランスのとれた共生関係を家庭の下敷きにすること。
それが、荒波の人生を二人で転覆せずに生き抜く力になるような気がしています。
答え合わせは別れの時に。
それでは、また!
あわせて読みたい
オシャレなさわぐちけいすけ先生の作品の話している記事で新井英樹先生の作品を紹介するというのもなんなんですが、記事中引用した『愛しのアイリーン』ご紹介します。
新井英樹『愛しのアイリーン』
新井英樹『愛しのアイリーン』
連載は95年~96年くらいの作品なんですが、20年以上の時を経て、2018年に映画化されました!
なぜ血まみれに…『愛しのアイリーン』予告編/シネマトゥデイ
やっと時代が追いついた、というところでしょうか。
作者の新井英樹先生曰くずっと売れてなかったそうなので、こういうことを機にどんどん再読されて欲しい!
新井英樹先生の作品は、血と汗と涙とその他いろいろな体液のにおいと熱情に溢れています。
「散らかった生活感のある部屋」を描かせたら日本一ですね。
クラシックで言うと、「ベートーヴェン」か「モーツァルト」か、と言ったら確実に「ベートーヴェン」的。
地を這う情熱です。
映画的演出が特徴で、その主題選びやキャラクターの「生きてる」感など、ちょっと似ている作家は出てこない。
今読んでもまったく色あせないですね。
ピンときたら、ぜひ本編もどうぞ。短いから読みやすいですよ。
(内容が読みやすいとは言っていない)