著者:吉原さん(@yoshihara_san)
前回に引き続き、マンガ職人・木村紺先生の『神戸在住』におけるマンガ表現の妙を追っていきたいと思います。
さっそく、行ってみましょう。
それでは、よろしくお願いします!
自宅に帰りつくまで
憧れの人であるイラストレーター・日和洋次の死を知った後の、大学生・辰木桂(たつき かつら)。
訃報を聞き、ほとんど無意識に彼の店までたどり着きますが、シャッターは閉まったままでした。
そして放心状態のまま、家路につきます。
そこからは よく覚えていない
ただ ずっと 夕日を見つめてた記憶がある
多分 家まで歩いて帰ったのだと思う
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
注意深く1コマ1コマ見ていきましょう。
意識グラつく1、2コマ目
・なにが見たいのかよくわからない、右上のビルのコマ。
・そのビルを見上げているところか、不可思議な構図の右下のコマ。
この二つのコマは、桂の意識が浮遊する様を描いていると読み取れます。
まず一つ目のコマ。
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
このコマ。ただ場面説明のための1コマと読めないことはないですが、直前で「そこからは よく覚えていない」と表記があります。
ここは、「桂の回想、そのうろ覚えの断片的映像」と読むのが正しいのでしょう。
なぜ、こんなものを見ているのか?
それは距離の近いものに目をやると、意識が手元に戻ってきてしまう(現実を直視してしまう)から。
なので、極力遠くに視線を飛ばして、なにも考えないようにしているのでしょう。
別にビルが見たいわけではないはずです。なんだって良いんです。
…なんだって良いんですが、このシーンは意識的に夕日を眺めようとしたわけではありません。
遠くへ移ろわんとする視線が、最初に逃げた先がビルだっただけのこと。その後、さらに逃げ場を求めて夕日に辿りつく、というシーンなのでしょうね。
次いで二つ目のコマ。
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
一見して、奇妙な構図のコマであることがわかります。
中心点が「肩の突端」だなんて、んなバカな話がありますか。
なにを中心に見せたいのかよくわからないこのコマは、あたかも桂自身の心の様をそのまま表しているようです。
つまり、「明確な意図が読み取れない構図」というのは、「明確な意図を持てない視点」そのものであり、桂のグラついた意識を表しています。
また、このコマだけがかなり下に寄ってしまっているのも、まとまりよく見せないようにするためでしょう。
桂の意識と同様に、どこかバラけた印象を与えます。
試しにちょっとコマの位置を上に上げてみるので、確認してみてください。ビミョーな差かもしれませんが、確かに受ける印象が変わるはずです。
ぜひ、感覚を総動員して見比べてみて欲しいと思います。
バラけてまとまりのない左側の正規の表現の方が、この2コマ目の妙な構図のコマが馴染んでいるのがわかると思います。
比較して、右側のようにコマの位置関係をまとめた表現にしてしまうと、2コマ目の歪(いびつ)な構図が浮いてしまっています。いわゆる”悪目立ち”する感じが伝わりますかね?
こう、、バランスの悪いコマを無理やり「ひとまとまり」に閉じ込めてしまうことで、息苦しい感じがしてきませんか?
このバランスの悪いコマは「ひとまとまり」の中から解き放ってあげることで、むしろ自然な広がりを感じます。
真の意味での「全体のバランス」をとるために、元のバランスの悪いものはあえてもっと崩す。
まるで「生け花」かなにかのようですね。
「職人の世界」というのは、まさにミリ単位の戦いなのです。
意識が排除される3コマ目
次のコマにも注目してみましょう。
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
・夕日に向かって、道のど真ん中を歩く左のコマ。
「道のど真ん中を歩く」という他者への配慮の薄い行動は、普段は控えめな桂らしくありません。
この狭い路地で、前から自転車が走ってきているにも関わらず、ですよ。
それだけ周囲に気を払えなくなっていることを表しているのでしょう。
また、光源である夕日は白く塗りつぶされてなにも見えない。
その他のものも、陰になってしまってやはり明確には見えません。本当は人の表情なども見えているはずですが…。
この、意味性が排除された白と黒の2進法の世界は、彼女の意識が現実に戻ってくることを拒否していることを印象付けます。
今の彼女にとって、世界は「色」と「意味」を失っているのです。
こ・れ・ら・の・描・写・を・も・っ・て・し・て・の・、
・夕日を見つめていた記憶はあるのに、家まで帰った記憶がない。
という、表現なのです。
そこからは よく覚えていない
ただ ずっと 夕日を見つめてた記憶がある
多分 家まで歩いて帰ったのだと思う
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
要は、放心状態であることを表すためのシーンなのですが、ここまで細かい。
こういうのを「描写」って言うんです。
ただ人物や風景を描いているように見えて、巧みに桂の内面を表現してきます。
抒情的にとらえてサラッと読むこともできるのですが、あらためて目を凝らすとすべてに作為が詰まっている。
木村紺先生の表現力の奥深さには、ただただ舌を巻くばかりです。
玄関前にて
こうして、世界を遮断しながら夕日を見つめていた桂は、気がつくと自宅の玄関の前に立っていました。
鍵を取り出した時に 手が震えているのに気づいた
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
ここは、「震えるほどショックを受けている場面」ではありません。
「『震えるほどショックを受けている』ことを意識できていないほどに、心身のコントロールが不全に陥っていることを表した場面」なのです。
ちなみに。
私が人生でMAXの怒りを感じた時に、似たような状況に陥りました。
フゥフゥと呼吸が浅く・早くなり、酸素が欠乏して指先が痺れてくる、、、ということに気づくという体験。
意図してやってないから、ちょっと不思議に感じるんですよね。
(あれ?……指先が痺れてる…。……(フゥフゥ)……あぁ、呼吸がおかしくなってるからか…)と後追いで気づくんですよ。
気づいたからって止まらないし、あれほどに意識と身体の連結が外れてたことってないなぁ。
話を戻しましょう。
ここでは、「私の手は震えていた」よりも「手が震えているのに気づいた」という表現の方が、桂の内面、桂の意識が不覚になっていることがより正確に表現される、ということが言いたいのです。
弟の笑い声
家に帰りつき、桂は朝刊の死亡者欄で日和さんの死を確認します。
逃げるように自室に駆け込み、ひたすらに泣き続ける桂の耳に、弟の笑い声が入ってきました。
居間で 弟がTVを見て笑っている
こんなに悲しいのに どうして笑っているのか
こんなに胸がはりさけそうなのに どうして晴君(はるきみ)は笑っているのだろうか
(講談社/木村紺『神戸在住』7巻 第62話「日和さんとの日々。」)
ここまで現実意識を遮断してきた桂でしたが、ドア越しに「笑い」というポジティブな感情をねじ込まれ、心がイラだってしまいます。
ポイントは、1コマ目と3コマ目を比べた時に、弟の絵が手前に寄ってきているところ。
一旦気になると、どんどん気になってしまってるんでしょうね。
「こんなに悲しいのに どうして笑っているのか」
どうしてもなにも、弟はなにも知りません。
日和さんのことも、彼が死んだことも、そして彼女にとってどんなに大事な人であったのかも。
にも関わらず、理不尽にイラ立ってしまう…。
「ありうる」ことですよね。想像がつきます。
いや~、リアル。
こんな調子で、とにかくクオリティの高いマンガです。
さらに順を追って、「日和さんの死」における一連のマンガ表現を追っていきたいと思います。続きます。
それでは、また!
< 試しに1冊! >
楽天kobo:【電子書籍】木村紺『神戸在住』7巻
Kindle:【電子書籍】木村紺『神戸在住』7巻
< 完結・全巻セットで!>
楽天kobo:【電子書籍】木村紺『神戸在住』全10巻セット
Amazon:【紙書籍】木村紺『神戸在住』全10巻セット
『神戸在住』の他記事
『神戸在住』あなたの芸の奥深さを私は何に例えよう①~それは協奏曲のような~
『神戸在住』あなたの芸の奥深さを私は何に例えよう②~それは生け花のような~←今ここ