著者:吉原三等兵(@Twitter)
表題の「ふっこう*ふれあい祭り・しぇあハート村音楽祭」が2017年10月1日(日)、岩手県盛岡市で開催され、参加してきました。
何年経っても支援を続けるマンガ家の先生方を間近で見て心打たれたので、そのことをご紹介したいと思います。
「心打たれた」とか「感動」とか、ね…。
口に出した瞬間。文字にした瞬間。
まさにその瞬間に嘘くさくなるっていう揮発性の高い言葉なんであんまり使いたくないんです。
でも、帰りの電車の中で胸にふつふつと感じる思いがあったことは事実。
心が何かを「感じ」「動いた」ことは確かなのだと思います。
それを「感動」と言うのであれば、それはもう「感動」でいいだろう、と。
臆面もなく「感動した」でいいじゃないか、ということにしました。
そのことはぜひ書き残しておきたいし、またこういう方々がいるんだ、ということを伝えておきたい。
そんな思いでこの記事を書きたいと思います。
それでは、よろしくお願いします!
目次
参加のきっかけ
私はこのイベントをツイッターで知りました。
当の三宅乱丈先生からのリツイートがあり、瞳孔がカッと開きます。
なんと!
しりあがり寿先生や吉田戦車先生などプロのマンガ家の先生方が、500円で似顔絵を描いてくれるというではありませんか!!
多くのマンガ家の先生方が東日本震災に対して心を寄せ、作品を提供したりしていたことは存じていました。
(私も購入させていただいています。)
また、直接の支援活動に取り組んでいることも聞き及んではいましたが、ずっと活動を続けられていたこと、改めて知りました。
め・ん・ぼ・く・な・い
というか、そういう情報すら何年も拾えてなかったことが恥ずかしい。マンガ畑の人間なのに…。
ブログのためにはじめたツイッターでしたが、利用してて本当に良かったです。
すぐに週末の予定をキャンセル、調整。
結果、前日入りの上で参加することに決定しました。
※こういう時に理解・協力をしてくれる家族にも感謝ですね。
企画意図
こちら、もともと「ふっこう*ふれあい祭り」「しぇあハート村音楽祭」という二つのイベントが合同で行われたもののようです。
盛岡の地域情報サイトであるMORIO-Jポータルサイトによると、
復興支援への感謝の意を全国に発信するとともに、参加者間の交流を目的として製作した壁面アート「音楽をする人の絵」の完成をおひろめするため、「しぇあハート村音楽祭」を開催します。
【同時開催】「ふっこうふれあい祭り」
ステージイベント、漫画家によるチャリティ似顔絵描きコーナー等たくさんの催し物があります♬*゜
という説明がありました。
まとめると「絵や音楽を通して交流を楽しみ、地元の美味しいものを食べよう!」というような主旨のイベントになるのでしょうか。
開催場所・しぇあハート村
岩手は盛岡市の「しぇあハート村」にて開催ということなので、ちょっとこの施設もご紹介。
盛岡復興推進しぇあハート村のサイトによれば、
しぇあハート村は東日本大震災被災地から進学のために盛岡に転入してくる学生のためのシェアハウスと復興支援に関わる団体が拠点を置く、盛岡市が設置した複合拠点施設です。
とのこと。
盛岡駅から歩いて30分くらいの場所にありました。
途中、雫石川や広ーい公園、科学館や美術館などを横目に見ながら歩いていけます(そういうの好き)。
"盛岡"という街を少しでも感じられて、歩いていって良かったです。
管轄部署について
しぇあハート村は「盛岡市市役所総務部危機管理防災課」が管轄しているそうです。
内情はまったく知りませんが、危機管理や防災を担当し、そのままの流れで復興支援も管轄していくような部署になったのでしょうか。
この管轄部署の名前を見て、私は少しだけ物々しく感じました。
だって「しぇあ」とか「ハート」とか柔らかい言葉で示される施設のお問い合わせ先に「危」だとか「災」だとかいう文字がチラついているわけですから。
なにが言いたいかと言うと・・・。
アホみたいな話ですが、直接の震災被害がなかった地域の人間にとっては「危機管理」とか「防災」とかって言葉に対してすでに若干"通り過ぎた感覚"を持ってしまっていたんですよね。
よく考えればすぐつながるし、特になんらかの違和感を覚える場面でもないはず。
でも、ほんの少し、そこに「物々しさ」を感じてしまった。
つまるところ「常在日常」な感覚。
その感覚が、「危機管理」「防災」という言葉を物々しく感じさせたのでしょう。
行政が、そして多くの民間の人々が延々と、そして連綿とこのような形での支援体制を取り続けるという事実ひとつとっても、
- いかに被害が甚大だったか
- いかに支援が必要であり続けるのか
が伝わってきます。
戦(いくさ)は続いている。終わった話じゃない。
誰でも知ってる当たり前過ぎる事実で、私だって知っているはずなのですが…。
きっとこういう部分って、大小含めてまだ気づいていない部分があるんだろうなぁ…。
被災者の立場を想像する努力は出来たとしても、本当に理解して寄り添うなんてことはできない。
その前提に立った上で、できること・やりたいと思えることを考えて実行していきたい、そう思いました。
ふっこう*ふれあい祭り・しぇあハート村音楽祭
会場につくとこんな様子でした。
良いですねぇ。『お~い!竜馬』の「よこそ りょうま」のワンシーンを思い出しました。
演出がどうのとかじゃなくて、地べたに這いつくばってチョークでこの文字を描いている人々の姿を想像すると、やっぱり思うものがあるんですよね。
「ようこそ」
この言葉にいろんな思いが乗っかっているように、私は感じました。
制作途中の壁面アートの様子はこんな感じ
実のところ体調が最悪で、ゲーゲー吐きながら新幹線(揺れの少ない新幹線でですよ!)を降り、しぇあハート村にくるまでもとても乗り物に乗る気分じゃなくて、風にあたりながら歩いてたどり着いたのですが、こういった様子を見て、なぜかふっと体調がよくなってきました。
人間って不思議。
憧れの人…三宅乱丈先生に会う!
似顔絵描きの会場にて、行列の先にNHK『浦沢直樹の漫勉』で拝見した優しい笑顔で来訪者を出迎える三宅乱丈先生の姿が…!
三宅乱丈先生が持っている太陽のような明るさって私不思議なんですよね~。
『イムリ』や『ペット』。もっと言うと『光圀伝』や『秘密の新撰組』にもある負の側面がまったく表立って見えない。
本当に見えない。すごく笑顔が多い。
いや、我ながら頭悪そうなこと言ってるなぁ~、とは思います。
しかし、あの凄まじい作品を描いた、三宅乱丈先生ですよ?
なにか、「それっぽい」ものも想像してしまうじゃないですか(そう言えば、眼力は強かった!)。
ただ、目の前にいるのは本当に素敵で魅力的な人間!!という印象でした。
そして、やっぱり作者と作品は相関関係があると思うんですね。
『ぶっせん』の正助や『ペット』のヒロキ、『大漁!まちこ船』のまちこといった、素朴な子どもらしさを持ったキャラクターが物語の中心になることもしばしばありますし。
『ペット』や『イムリ』のような、心の奥に入り込んでくる作品も、底抜けに笑えて愛せる『ぶっせん』や『大漁! まちこ船』も、その正中線をとおる『秘密の新撰組』も、ギャグからホラーまで幅広く、ギラリと光る短編の多い『王様ランチ』『ユーレイ窓』などの作品も。
全部ひっくるめて「三宅乱丈」先生としか言いようがないですよね。
「マンガ」とは「人間」です。
人間が素晴らしく、そしてそれを表現する力があれば、それはもう絶対に面白い作品なのです。
語弊ある言い方かもしれませんが、大体そうです。
「力をもらう」ということ
似顔絵を描いていただく間に、妻の話もしました。
彼女は『イムリ』に出てきた下記の言葉をいつも「人生の指針」にしています、と。
(ラルド)
そして その正しい行いを ずっと呪師達は続けてきたんだ
そうして尊敬に値する呪師の血となったんだろ?
だから呪師を目指す我々も 正しい行いを見習わなければならないんだ
三宅乱丈『イムリ』11巻 第63話【高貴な民】/エンターブレイン
(ヴィテジ)
正しい行いなのか!?
たった独りに彩輪を作らせるなんて
正しい行いと言えるのか ラルド!?
三宅乱丈『イムリ』11巻 第63話【高貴な民】/エンターブレイン
また、この時はお伝えできませんでしたが、以下のデュルクの言葉も我々の心に強く爪痕を残しています。
(デュルク)
自分の本当の心が動いてしまうんです!!
本当の心が「間違っている」と思ってしまうんです!!
三宅乱丈『イムリ』5巻 第29話【合】/エンターブレイン
「それは、『正しい行い』なのか?」
「本当の心は、どう感じているのか?」
迷った時や違和感を感じた時、「どうあるべきか」「どう生きるべきか」に改めて焦点を当てることができる言葉です。
このことを伝えた時、三宅乱丈先生は「うわぁ~~、私も頑張らなきゃ!」と作品が他人に与えている影響の大きさを汲み取り、また自分の力にしていくということを表に出して表現してくれました。
こんな光栄なことってあるのかな?
帰ってから妻に話したら、どんどん目頭が熱くなっていくのがわかりました。
先生たちの意気に触れ…
似顔絵描きの列に並んでいる際。
お顔を存じ上げなかったのですが、イラストを見て
「…あ、あの方がしりあがり寿先生だ」
「この絵…うわっ。寺田克也先生かっ!」
「うそ、あの絵は…羽生生純先生ってことか!?」と次々に判明。
鈴木みそ先生や吉田戦車先生は自作にご本人がでてくるので、見た目でわかりました。
やっぱりちょっと、違いますね。雰囲気のある方ばかり。
そして。
制作の生現場や、先生方が来場者とにこやかに対応されているのを見ていると…。
なんか、こう。
伝わるものがありました。
例えば、岩手日日新聞社のこの記事についている写真なんかすごく良い。
参考 人気漫画家が似顔絵 盛岡でふっこうふれあい祭り 熱心なファンら行列【岩手】岩手日日新聞社しかし。
仮に私がこのイベントに出かけず、自宅でネットしてこの記事とその写真見ていたとしたら…。
「良い写真だな」ってことや「楽しそうだな」ってことしか伝わらなかったんだと思うんですよ。
現場に行って。
そこに人がいて。
制作現場を見て。
来場者とのやりとりを見て。
その空気を感じて。
ジワァ~~っと湧き上がるものがある。
そんな感覚。
文字や口で表現すると、やっぱりちょっと違う。
そういうものが、確かにありました。
私は、今日、この場に参加してくれた先生方やスタッフの方々、この場が作り出す空気が好きだなぁ~。
並んでいる間に見知らぬ人と会話とかしちゃったりして(まぁ、そういうことはよくやるか…)。
いや、ほんと。
「感じるものがあった」ということに尽きます。
参加出来て良かったです。
2017年「ふっこう*ふれあい祭り・しぇあハート村音楽祭」に参加したこと・まとめ
時間の都合から三宅乱丈先生にしか似顔絵を描いていただくことができませんでしたが、本当に素晴らしい先生方ばかり。
「自分たちが楽しいからやってる」
参加した先生方はそういう風に考えているそうです。
こういうことを楽しいって感じること自体が…、なんていうか、ね。
あんまり持ち上げてしまっては先生方だってやりづらいだろうし、聖人君子と讃えられたいわけでもなんでもないでしょうから、あえて具体的な言葉にはしませんけど(できませんけど)。
短い人生の中でできることは限られていますものね。
「楽しいこと」をして生きていきたい、そう思います。
いや、参加して本当に良かった。
皆さんも来年行きましょう。そしてなんならお金を落としましょう。
参加者が増えちゃうと自分が似顔絵描いてもらえるチャンスが薄くなるんですが、そんな利己的なこと発想してる場合じゃないですよね。
私もやっぱり体調が悪くなり、早々に帰路についてしまったので、ぜひ来年はもっとたくさん参加したい!
みんなで「楽しむ」ために!
それでは、また!