『ヒストリエ』恋愛の駆け引き描写の妙味④-岩明均ならではの超繊細表現!「時間経過」の表現に使われた「匠の業」

すごいポイント4.微細

著者:吉原さん(@yoshihara_san

1回2回3回とやってきて今回が最後の4回目。

本当はパパっと書いてしまうつもりだったんですが、皆目、不可能でした。

私のせいじゃない。岩明均先生のせいです。芸が細かすぎるんです。

しかし、今度こそ終わりの記事になりますので、皆さん、最後までお付き合いください。

それでは、よろしくお願いします!

もはや言葉は必要ない

別れに際して心を通わせ合った二人。エウメネスはそこからさらに言葉を重ねようとしますが、その口はエウリュディケの唇によって塞がれました。

あぁ、なんて贅沢な余韻。

エウリュディケの万感の想いの乗った唇は、まるでそれがエウリュディケの存在そのもののように、ゆっくりと離れていきました。

『ヒストリエ』エウメネスとエウリュディケ
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

エウリュディケは明るい表情で別れを告げます。

「じゃね」

軽やかな足取りで、部屋の奥に溶けてゆく影。

置いてけぼりにされたエウメネスの表情は、まるで銀河鉄道に取り残されたジョバンニのよう。

ここで彼は、エウメネスらしからぬ、まるで子どものように無防備な表情をさらしています。

はい、ここからです。

実のところ、今回の一連の記事は次項目からのコマを紹介したくて書きはじめたようなもんですからね。

刮目のほど、よろしくお願い致します。

時間経過の表現

パッと見、シンメトリーのようにも見える4つのコマですが、ちょっとずつ見ていきましょう。

『ヒストリエ』取り残されたエウメネス
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

このシーン、要は時間経過を示すコマなんですね。

月の位置

まず、誰が見てもわかるのは「月の位置が変わっていること」。

時の流れを示すシンボルですが、では実際にはどの程度の時間が経過しているのでしょうか?

拙い画像編集ですが、参考までに下記に表してみたのでご確認ください。

『ヒストリエ』月の角度
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

大体30°。ややそれよりも鋭角。

360°÷24時間=約15°ですので、月は1時間で約15°進みます。よって30°弱≒2時間弱。

概ね2時間ほど経っています。

ということは、エウメネスは2時間近く立ちっぱなし。

…2時間。…簡単に言うけどさぁ。

……大変よ。

そんな”2時間弱の描写”ですが、「月の位置」以外の変化も指摘しておきましょう。

エウメネスのコマ

エウメネスの手が「グー」から「パー」に変わっているのがポイントです。

『ヒストリエ』エウメネス
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

はじめのシーンはまだ緊張が残っているのか、「両拳」は握られたまま。

しかし時間経過後は自然と手がひらいているようです。力が抜けてきているのでしょうか、心の虚脱ととれます。

足の向きはほぼ変わっていないのが対照的。

「マント」の動きにも注目。時間経過とともに風向きが変わってますね。なんだかフワッとした風のようです。

「草の影の位置」も変わっています。これも風が出ているせいでしょうね。なびく場所が変わっているのがわかります。

そして、月に照らされた「エウメネスの影の位置」が変わっているのは一目瞭然。

いずれも風の向き、光の向きがポイントです。

月と木のシルエットのコマ

月による時間の経過は先ほど説明したとおり。

『ヒストリエ』月の位置と木のシルエット
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

光の取り込み具合のせいで私が撮った画像ではむしろ逆になってますが、月が高く昇ったコマの方が「一層闇が深くなっています」(本編読んで確認してください)。

良いですねー。

長い時間の経過と寂寥とした風、そして光源の移動と深まる闇を感じるところが、このシーンのみどころ…

…………と思いました!?

違いますよ!?

いや、違わないんですけど、それはそれとして、ぜひ指摘しておきたい点があります。

それは…「木のシルエット」

これ、一見したところまったく同じ木のシルエットですよね。そう見えますでしょ?

私もそう見えました。でもね、よーーーーーく見てください!

『ヒストリエ』月の移動と木のシルエット
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

違うんです!! 微妙に、そして全体的に!!

これは、弱い風の吹く夜であったことがポイントで、風を受けて全体的に末端の木の枝がしなり、葉が揺らされていることを表現しています。

これ、自分が気づいたから言うわけでないんですが、いくら「岩明均先生の読者」とはいえ、こんなの100人に1人くらいしか気に留めませんよ。

そして、気づく必要もない。

“読書体験”とはすべての作為を見抜くためのゲームではなく、ただ”体感”することに意味があります。

そもそも。

このようなちょっとしたベタ塗りの背景は、コピーにしたって問題ありません。マンガ表現は「記号」の文化でもあるんですから。

でも、しない!

岩明均先生はそれをしません。これは作家性、作家のカラーの話であり、決して優劣の話ではありません。しかし、こういうところで手を抜けない作家が、本筋・大筋のところで手を抜くわけがないんです。

ちなみに、もし「風が吹かない夜」であったなら、こんなに大幅にシルエットを描き換えてこないでしょう

そういう「細かいところまでこだわっちゃう俺すごい」のような見せつけるエグみじゃなくて、ただ必要だから書いている、そういう気概を感じます。

この細部にまで徹底的にこだわり抜かんとする姿勢は「岩明均」先生というブランドの大きな特徴の一つであり、10年以上、帯がほぼ「岩明均」だけという恐ろしい現象がその凄さの一端を表しています。

『ヒストリエ』1巻と10巻の帯

まるで「大丈夫。『岩明均』の作品だよ」と物語るよう。

最高です。

補足:フォーキオンの表情に注意!

さて、鬼の首でもとったかのように「木のシルエット」の形に大騒ぎしていた私ですが、ここに気づくにはきっかけがありました。

それは単行本9巻の以下のシーンに軽く衝撃を受けたことです。

『ヒストリエ』フォーキオン
(講談社/岩明均『ヒストリエ』9巻 第76話「密命・3」)

画像にすると案外わかりやすいなと思ったんですけど、単行本で見ると違いなんてほとんどわかりません。

でも、見比べれば。顔から受ける印象が左右のコマで違うことがわかりますね。

よく見ると、右のコマの目は見開かれ、口はなにか物を言いたげにほんの少し上がっています。左はいつものフォーキオンの表情。

うーん。なんというポーカーフェイス。

これも、完全にコピー対応の案件ですね。コピーで掲載しても、マンガ作品的には十分に成立しうるはずです。

例えば。ヤングマガジンで連載中の木多康昭先生の『喧嘩稼業』の一幕より。

(木多康昭先生、引き合いに出して大変申し訳ない。非常に比べやすいコマでしたので取り上げさせていただきました。ディスる気は全くないです)

『喧嘩稼業』セコンド高野照久
(講談社/木多康昭『喧嘩稼業』7巻 第50話「majiでkoiする5秒前」)

わずかな表情の変化から、人物の考えを読もうとするシーンですが、一部コピーを使っています。

ね? 成立するでしょ?

むしろ、この作品の場合は両サイドのコマは中央を浮かせるために、コピーにした方がわかりやすいです。

コピーを使ったからといって、必ずしも作品の評価が落ちるわけではなく、効果的に使えばクオリティを上げることもあります。当然、作品として成立します。

しかし。

それでは「岩明均」作品としては成立しない、ということか。

私は、このわずかなフォーキオンの表情の描き分けに脱帽しました。

描き分けたからエラいんじゃないんです。これによりフォーキオンの性格を表したからです。

そして、この一件があったからこそ「岩明均先生なら、枝も揺らしてくるんじゃないか?」そういう予断を持っていたため、木のシルエットの描き分けにもすぐに気づくことができたというわけです。

立ち去るエウメネス

エウリュディケが消えて、随分と時間が経ちました。この間、エウメネスは何を考えていたでしょうか?

復縁の可能性に思いを巡らせていた?

思い出に浸るだけ? 唇の感触を思い出していた? それとも放心していただけでしょうか。あるいはその全てでしょうか。

いずれにせよ、彼女が再び姿を表してくれることは、ない。

2時間近く時間をかけて、ようやくエウメネスはたった一つの事実を認めます。

エウメネス「もう………」「決めたのか………」

『ヒストリエ』孤独なエウメネス
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

現実的な合理主義者であるエウメネスにして、この明快な結論を受け入れるのにこれほどの時間が必要だったとは…。ショックの大きさを想像するばかりです。

そして、知性の塊・エウメネスらしからぬ「気の抜けた表情」を見せ、ゆっくりとその場を立ち去ります。

(…何度目でしょうかね。この「らしくない」無防備な顔を見せるのは)

はい、切り替えていきましょう。それを受けての次のコマが大事ですよ。注視してください!

エウリュディケ「うん………」

ヒストリエ』泣くエウリュディケ
(講談社/岩明均『ヒストリエ』10巻 第86話「王の左腕・2」)

流れ出る涙。服にこぼれた涙。

別れの際(きわ)。努めて明るく軽やかに姿を消したのは、精一杯の強がりでした。

エウリュディケもまたこの長い時間、廊下の影に隠れて流れ落ちる涙を拭こうともしていなかったのです。

着目すべきは、エウメネスまでの距離!

いくら喧噪が少ないであろう古代の夜中とはいえ、虫の音(ね)・風の音(ね)、数多(あまた)あるはず。

相当神経を集中させておかないと、これだけ距離のあるエウメネスのセリフを耳に捉えることは困難です。

この事例ひとつとっても、エウリュディケのエウメネスへの想いが、彼に負けぬほど強かったこと、またポテンシャル的にも只者ではないことが想像できます。

エウメネスが惚れ込むだけのことはあるんですよ!

これ、岩明先生が描くから「確実に意図があって描いている→エウリュディケの能力と意志」という風に解釈できるんですが、ダメな作家が描いたものだったら「ちょっと距離あり過ぎじゃない?こんなに離れてても聞こえたのかな?」と思ってしまいそう。

これがブランドであり、これが信用です。

細部の細部までこだわり抜くことは、決して無駄ではありません。

まとめ

いやぁ、素晴らしいですね。『ヒストリエ』。

常に「神は細部に宿る」を体現し続ける作家です。

体調面のことを抜きにしても、この内容で遅筆なのは致し方なし。次の単行本がでるまでじっくり味わうことにいたしましょう。

いやー。たった10数ページの出来事を4回、1万字以上にわたってくっちゃべってきましたが、要は、

「岩明均先生はここまでやる作家」

ということが言いたかった!(言えた! 良かった!)

次の発売日はきっと年単位になるのでしょうが、体調に気を付けていただき、なんとか描き切ってほしいですね。

歴史マンガって、ついつい「出来事」にフォーカスされ、ともすると年表をマンガ化したような作品になりがちなんですよ。

しかし、『ヒストリエ』は明らかに一線を画しています。

しっかり”人物”にフォーカスされ、役割を与えられた「キャラ」ではなく、生々しい脈を感じさせる「人」を描く。そして、大勢の「人」の物語のうねりの結果として、歴史の大河を描き出す!

それは緻密で徹底した描写に支えられています。面白い! 最高!

それでは、また!

読んでみるなら!

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