著者:吉原三等兵(@Twitter)
さて、近藤ようこ『ホライズンブルー』の主題に触れるような記事を書こうと思っていたのですが、書ける自信がさっぱり湧いてこない。
結局、私はどんなにか想像しても「子どもに暴力をふるう」ということがどういうことなのか。そこに理解が及ばないんです。
なので、この主題を読み解いて解説しようだなんて無理難題には挑戦せず、心に浮かぶことをつらつら書いてみようと思います。
『ホライズンブルー』これぞ職人芸。あまりにも高いリアリティのクオリティ
『ホライズンブルー』恋愛の参考書にも最適。自己肯定感の低い女性は美人でも恋愛弱者
『ホライズンブルー』児童虐待-壊れたままの心はより弱い存在への攻撃に向かう←今ここ
それでは、よろしくお願いします!
「結婚」ってなに?
昔から不思議に思っていたことがあります。
例えば、『ホライズンブルー』においては以下のようなセリフ。
(春子)
啓介と別れる理由はなかった
つきあい続ける理由もなかったのだが
(近藤ようこ『ホライズンブルー』「十話」/青林工藝舎)
子どもの頃の私が読んだならばこう思うでしょう。
(よくわからないけど、「人生の真実」のひとつな気がする。きっと大人になったらわかるのだろう)
・・・
結果としては、こんな気持ちは皆目わからない30代になってしまいました。
「つきあい続ける理由がなければ時間のムダなんだから、それこそが別れる理由じゃないの?」って認識ですよ。
それは、ともかく。
春子はこのような冷めた気持ちのまま、妊娠をきっかけに結婚することとなります。
彼女の場合、児童虐待につながる要因のひとつは、妊娠以外の必然性が見えてこない結婚にもあったと、言えるでしょう。
それは夫の啓介も同様。
彼の発言を見ても、結婚相手がどうしても春子でなければダメだった理由が見えてこない。
(啓介)
いえ恋愛……というか職場結婚
まあ あれでしょ 恋愛と結婚は違いますよね
春子は結婚向きだと思ったんですよ
子どもができちゃって…それにぼく母ひとり子ひとりでしょ
早く結婚したほうがママを安心させられると思ったし
(近藤ようこ『ホライズンブルー』「九話」/青林工藝舎)
- 「職場」で結婚すると恋愛ではないのか?
- 「結婚向き」っていうのは家事・育児要員って話をしてるのか?
- ママのために結婚するのか?
などなど、いろいろと疑問がでてきますね。
かくして、お互いに結婚の意義がズレてしまっていることが悲劇の予兆と言えるでしょう。
お互いを大事に想いあう関係の中で生まれてくる我が子は、自分や相手と同じように一人の人間として大事にしたくなるものではないでしょうか。
夫の責任ばかりとは言えませんが、例えば春子の承認欲求を啓介がもっと深く満たしていれば、虐待は起こらなかったのではないか、とも思わせます。
春子をして「もはやわたしには啓介さえ必要ない」ように思えた新しい生活は、いくら希望に満ちていても「決定的な何か」が歪んだままだったのでしょう。
その"歪み"が結果的に子どもという存在の「私物化」につながっていったのだと思います。
"解放"の象徴は一転、"絶望"へ
順調にいっていたかのように見えていた産後の生活は、母の「秋美(妹)の小さい時に似てるわ」という言葉ですべてが瓦解します。
自分だけのもの。
自分だけの分身だった娘・由季は、自らのコンプレックスの源泉たる妹を連想させるものとなりました。
実は、はじめから娘を一人の人間としてみることはできていなかったのです。
「哀れな自分の分身」としてか「憎らしい妹の幻影」としてかの違いはあれど、いずれもその「象徴」としてしか見ていなかった。
どちらにしたってやってることは同じ。
「自分の心を救うために愛する」か、「自分の恨みを晴らすために憎む」かの違い。
そうであったとしても。
私にはなぜそれほどに憎悪の対象にできるのかが、理屈はわかっても具体的共感が湧いてきませんでした。
新生児って、全力で守りたくなる衝動に駆られてしまう存在であり、それが例え自分の子でなくったってそうです。
ですが、以下の場面で腑に落とすことができました。
(春子)
あの時から わたしは 心が壊れてしまった
いや 壊れていたのを 知ってしまった
(近藤ようこ『ホライズンブルー』「十四話」/青林工藝舎)
そう、いっけん普通の生活をしていたように見えても、すでに「壊れていた」のです。
程度の差こそあれ、心の一部が壊れたまま大人になっているなんてことは、案外普通のことかもしれません。
が、春子の心はより根源的な部分で壊れたままになっていました。
自分を取り戻す道はどこにあるのか
壊れた心を抱えながらも自分の心に目を向けることで、春子は「かわいそうに」という感情を心に落とします。
まず、理不尽に自尊心を削り続けた母に。
それから、母を求めて泣いている子どものままの自分に。
最後に、ひどいことをしてしまった娘・由季に。
春子は「やり直したい」と啓介の母に預けていた由季に会う決心をします。
果たして春子はやり直せるのでしょうか? 自分と娘を救うことはできるのでしょうか?
物語は唐突に終わりを迎えます。
(春子)
わからないけど
(近藤ようこ『ホライズンブルー』「十六話」/青林工藝舎)
逆光になって映らない由季や啓介の表情からは、未来が明るいのかどうか読み解くことはかないません。
簡単にハッピーエンドに落とし込んでこないところに、作者の「児童虐待」という問題への取り組み方の真摯さをみます。
やすやすと安易な救いを与えないのは、あまりにも根深いテーマであることの証左でしょう。
ふつうは読者様の読後感を上げるために、カタルシスのあるラストを挿入するのもサービスの一環。
でも、それはしない。極めて誠実性の高い作品です。
(逆に、実体験をもとに完全決着をつける作品もあります。)
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』たった一人支えてくれる人がいれば、人は生まれ変われる
「どんな取り戻し方があるのだろうか」と考えるべき一冊でしょう。
それでは、また!
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