『HUNTER×HUNTER』「少年マンガ」は二度死んだ。キメラアント編の感想・考察-仙水と樹のその先へ②

マンガ書評

著者:吉原三等兵(@Twitter

さて、前回のエントリーを踏まえまして、本題です。

やっと!!

やっっっと、『HUNTER×HUNTER』の「キメラアント編」の話をはじめます。

▶『HUNTER×HUNTER』「少年マンガ」は二度死んだ。キメラアント編の感想・考察-仙水と樹のその先へ①/ヨシハライブラリ

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▶『HUNTER×HUNTER』「少年マンガ」は二度死んだ。キメラアント編の感想・考察-仙水と樹のその先へ③/ヨシハライブラリ

それでは、よろしくお願いします!

「キリスト」がモチーフ? メルエムという特異なラスボス像

さっそくはじめましょう。

「蟻の王」メルエムは「少年マンガ」において実験的な試みだったと言えるでしょう。

メルエムは逸脱した戦闘能力はもちろんのこと、まさに王に相応しい知性や高潔さをそなえた「真の王」として設定されています。

少年マンガにありがちな「(よく考えるとペラい)世界の支配者」ではありません。

「世界の支配者」というボスキャラ像を突き詰めた例が「メルエム」という存在なのです。

もうちょっと言えば「キメラアント編」は随所にキリスト教をモチーフとした表現が見て取れますが、メルエムこそはまさに「王の中の王」。

すべてを統治し、また裁く存在でもあるイエス・キリストその人でしょう。

※本当はここでメルエムのラスボスとしての特異性やキリストとの関連性をさらに掘り下げて書いた方が説得力がでるのですが、長くなるのでとりあえずやめときます。

「真の意味で統治にふさわしい存在」が敵だった場合、一体なにが起こるのか。

「キメラアント編」はそのような問いに答える実験場という言い方もできるのではないでしょうか。

吉原三等兵

ちなみに逆方向に突き詰めたラスボスの例が『ジョジョの奇妙な冒険』の静かに暮らしたい会社員・吉良吉影です。

「テンプレート・ラスボス」とメルエムの違い

具体的な名前は挙げませんが「少年マンガ」の敵役って「世界の支配者」が多いじゃないですか。「世界」の狭い広いはあるにせよ。

で。

「支配」とか「統治」とかって結構大変なはずなんですけど、マンガの中の支配者と言えば、ただ「悪い」だけ。「ザ・悪」。うん。

だから主人公側が(よーし倒してやろう)となるわけですし、倒すと「めでたしめでたし」とシナリオを終えられるわけです。

しかしですね。

「世界の支配者」なんですよ。「悪い」だけでいいんでしょうか?

支配者は忙しいんです。

考えなきゃならないことや決断しなければならないことがいっぱいあるはずなんです。

「悪の支配者」というレッテルを飛び越えて、例えば「行政論を語る世界の支配者」ってどのくらいいました?

本来必須なはずですよね。だって支配者なんですから。

メルエムは以下のように語りました。

(メルエム)

何という不条理

木偶の為政など百害を生むだけ

痴愚生物の所業と言わざるを得ぬわ

我々が しっかりと管理するしかあるまい

冨樫義博『HUNTER×HUNTER』21巻 No.217「肉樹園」/集英社

(メルエム)

余が壊してやる そして与えよう

平等とは言えぬまでも 理不尽な差の無い世界を

始めのうちは"力"と"恐怖"を利用することを否定しない

だが

あくまでそれは秩序維持のためと限定する

余は 何のために"力"を使うかを学習した

弱く…しかし生かすべき者を守るためだ

敗者を虐げるためでは決してない

冨樫義博『HUNTER×HUNTER』27巻 No.288「賞賛」/集英社

これらは「統治への意欲」「統治についての現実的なイメージ像」を語ったということがポイント。

いわゆる「少年マンガ」の敵役っていうのは、幼稚な世界観の中での「世界の支配者」でしかないケースが多く、それってつまりハリボテなんです。

実際は「主人公側に倒される役目を与えられた存在」でしかないケースがいかに多いか。

そのための「世界の支配者」という設定をまとっているに過ぎません。標的にしやすい的でしかないのです。ファッションです。

メルエムはそうではありません。

上記のように被支配者層の処遇を具体的に検討する姿勢を見せたところはその一例です。

で。

ここからは注意深く読み取りたいところなのですが、

その「真に世界の支配者」たらんとする「蟻の王」メルエムは王になって何がしたかったのか。

どんな目的があったのか。

…実は、そんなものは特になかったのです。

なぜならば「蟻の王」として統治することを生物的に決定づけられていた「だけ」だから。

なにか目的があって支配したわけではなく、「支配そのものが目的」だったと言わざるを得ないでしょう。

むしろ「責務」「義務感」ですらあったかもしれません。

「設定の浅さ・薄さ」を要因とするか「キャラの生物的役割」を要因とするかは異なりますが、結果的には多くの凡百の少年マンガにおけるテンプレート・ラスボスと一緒で「支配そのものが目的」であり、その先はあまりなかったんですね。

吉原三等兵

だから、退屈しのぎに軍儀とかやっちゃうわけです。

しかし、微妙な差が大きな差。

冨樫義博先生はこの「キメラアント編」において、メルエムに「蟻の王」としての人生がハリボテでしかないことを気づかせるわけです。

こ こ が !!

ハリボテの設定をまとっただけのテンプレート・ラスボスらとまったく違います。

(メルエム)

余は 何者だ…?

名もなき王 借り物の城

眼下に集うは 意志持たぬ人形

これが余に 与えられた天命ならば

退屈と断ずるに些かの躊躇も持たぬ!!!

冨樫義博『HUNTER×HUNTER』25巻 No.261「突入①」/集英社

そして、生産と分配の退屈さを明確に意識したがゆえに、彼は「一個人・メルエム」としての生き方を探ることになるのです。

「人間の生きる意味」を探る思考実験

唐突ですが、人間の生きる意味や目的ってなんでしょうか。

色々あるかとは思いますが、お金や権力といった「パワーを欲すること」というのは一つの大きなファクターになると思います。

なぜなら最低限の「パワー」を有しないと、生命維持自体ができないからです。

「人間の生きる目的」と問うと広がりがあって、様々な解が明滅しますが、「生命が生きる目的」と問い直せば、一丁目一番地に「生命維持」が来るのは不思議ではありません。

生命には「自己保存」の欲求があるからです。

そして、パワーとは自己保存のための生命維持装置なのです。

さて、そこで。

「唯一無二の絶対的支配者で、この世のすべてを自由にできる」

そういった究極のパワーを持った超人が存在するとして、その者の人生の目的は何になるのでしょうか。

つまり「自己保存」や「生命維持」といったせせこましい枷(かせ)から解き放たれ、すべてを自由にするパワーを持った時。

人はどんな欲望を満たそうとするのでしょうか? なんのために生きるようになるのでしょうか?

そのような問いが「メルエム」という仮想された究極的な生命を通して考えることができるようになるのです。

つまり「メルエム」という存在は「人間はなぜ生きるのか?」という普遍的な問いの答えに近づくためのツールの一つと考えることもできます。

例えば独裁者・ディーゴ総帥(本人&影武者)の場合

メルエムほどの究極的存在とまではいかなくても、独裁小国家における独裁者本人はほとんど「唯一無二の絶対的支配者で、この世のすべてを自由にできる」ようなものでしょう。

例えば、作中の東ゴルトー共和国における独裁者・ディーゴ総帥の役を演じていた影武者・偽ディーゴの場合の生きる意味はなんであったか。

はい。そうですね。

すぐにメルエムに壊されたんでよくはわかりませんが、「酒池肉林」以上のものは特になさそうでした。シンプルな男です。

では、本物のディーゴ総帥の場合はどうか。

「某国で晴耕雨読の生活30年目に突入」しているということで、それが彼の場合の答えなのでしょう。

太陽と土と詩。それだけで人生が満たされているようです。コクと深みのある男です。

例えばウルトラ・スーパー・デラックスマンの場合

ついでに思い出したんで書いておきますが、藤子・F・不二雄先生の短編作品に収録されたラーメン大好き小池さんの顔をしたウルトラ・スーパー・デラックスマンという無敵超人の場合はどうであったか。

彼の場合は「名誉欲」「性欲(支配欲?)」、あとは「力の行使」そのものに酔っていたような気がします。しょうもない男です。

つまるところ。

生存に必要なパワーを大きく超える力を手に入れた時、その人の「人としての在りよう」がまざまざと見せつけられるということ。

「宝くじに当たったら何に使うか?」という質問に人間性が出るようなものです。

メルエムの出した「人生の意味」の答え

……で。

本題になるのですが、メルエムが見出した「人生の意味」とはなんだったんでしょうか。

ちょっとこれが言語化しにくいというか、「できない」というより「したくない」という感じなんですよね。

例えば一言で「愛」とか言ってもなんかもう違うでしょ。意味が揮発しちゃってる。

吉原三等兵

これについて語るには少なくとも別途それを題材に記事を書かないとダメですね。どう考えても尺が足りない。

しかし。

どうであれ、メルエムはその答えを見つけたのです。

ひとつだけポイントを押さえておくとすれば、メルエムのたどり着いた場所はパワーを前提としない場所でした。

まったく異なる作風ですが、ますむらひろし『アタゴオル物語』というファンタジーの名作マンガがあり、そのコピーに「"力"では、たどり着くことのできない世界。」という一文があります。

サヤサヤと吹く風のにおい。

森に差し込む月明り。

金色にゆれるすすきの原。

蛇腹沼の底に沈む万華鏡。

豊潤な夢、透きとおった詩情。

アタゴオル

"力"では、たどり着くことのできない世界。

ますむらひろし『アタゴオル物語』1巻表紙/朝日ソノラマ

メルエムは、「"力"では、たどり着くことのできない世界」まで行ったんだろう、と思います。

次の記事で最後です。今度はひとつめの記事で触れた『幽☆遊☆白書』と絡めながら語っていきたいと思います。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

▶『HUNTER×HUNTER』「少年マンガ」は二度死んだ。キメラアント編の感想・考察-仙水と樹のその先へ③/ヨシハライブラリ

いやー、マンガって本当に素晴らしいですね。

それでは、また!

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あわせて読みたい

本記事でご紹介した藤子・F・不二雄『SF・異色短編』とますむらひろし『アタゴオル物語』をご紹介いたします。

藤子・F・不二雄『SF・異色短編』

このシリーズを読んでいると、「センス良い」と言われます。

ちょっとブラックな短編集でショートショートの名作です。

よくこれだけのものをこの短さでスパっとまとめられるなぁと唸りますね。天才的。

最近、『ノスタル爺』が話題になっていましたが、私のおすすめは

  • 『ミノタウロスの皿』
  • 『定年退食』
  • 『あのバカは荒野をめざす』
  • 『流血鬼』
  • 『山寺グラフィティ』
  • 『絶滅の島』

辺りでしょうか。必読です。

ちなみにここの記事でも紹介しているので、よろしければこちらもどうぞ。

▶【大人になるまでに読みたいマンガ100選シリーズ】小学校・低学年編/20選/ヨシハライブラリ

ますむらひろし『アタゴオル物語』

このシリーズを読んでいると、「センス良い」と言われます(本日二回目)。

日本のマンガの幅の広さというか懐の深さを感じさせるファンタジーの名作ですね。

おそらく別のジャンルへ与えた影響も大きかったのではないかと思います。

ヨネザアド…もとい山形県の米沢市に行くと、このマンガのイラストが描かれたバスに乗れます。

必読です。

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