著者:吉原三等兵(@Twitter)
非常に印象的なタイトルの、宮川サトシ『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』
作者の自伝、エッセイ的なマンガです。
2019年2月22日に映画も公開されました。
あれ?
ちょっと待って。今、タイトルに引きました?
ダメですよ、引いたら。
このタイトルを読んで引いてしまった人が想像するよりも、ずっと「いい意味で」ふつう。
ごくふつうの家庭。ごくふつうの愛ある家庭の話です。
まだ元気だったころの母との生活。
ゆっくり死んでいく母との生活。
そして母がいなくなった世界での生活。
どこのだれの身にも起こる、母との別れ、そしてその後の物語です。
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』身近な家族の死を受け入れるということ①←今ここ
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』身近な家族の死を受け入れるということ②
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』ことは猟奇的なのか?違うでしょ、という話
(サトシ)
僕は この母のいない世界を生きる意味について考えるようになっていました。
(宮川サトシ『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』第5話「あの時、母は根拠のない自信に満ちていた」/新潮社)
それでは、よろしくお願いします!
目次
母親へのがん告知
物語は母親と作者が病院で診察待ちをしているシーンからはじまります。
はたして結果は末期の胃がん告知でした。
母は自分が死ぬことを受け止め、死ぬまでの準備をはじめます。
昔、女優の樹木希林さんが「がんはゆっくり死ねるから、準備ができて良い」みたいなことを言っていたと記憶しているんですが、私もその通りだと思います。
息子である作者もこの時点で仕事を辞めることを決意し、母との時間をできうる限り長くとろうと考えます。
私と祖母の場合
実は、私の祖母もがんで亡くなっています。
子どもの頃から近所で暮らしていて、夕飯はいつも一緒にとっていました。
ツワブキの食べ方や味噌の作り方も教えてくれ、手作りのまんじゅうや胡麻豆腐を食べさせてくれる祖母でした。
私は祖母が声を荒げる様を一度もみたことがなく、孫たちを分け隔てなくいつも深い愛情で包んでくれた人でした。
(ありし日の、まんじゅうを作ってくれる祖母)
このマンガを読んでいると、どうしても祖母のことを思い出してしまうのです。
ちょうど連休を利用して地元に帰省していた時に「もう長くない」ということを母や叔父から聞きました。
連休の終わる日。私は祖母の家に別れのあいさつをしに行きます。
いくらかの言葉を交わした後、祖母は自分の容態について説明してくれました。
そして子どもの頃からずっと変わらない満面の笑顔を私に向けてくれながら、しっかりと立ったままで、
「これが今生の別れ!」
と言いいました。
どんな顔をすればいいのか、どんな風に答えればいいのか。
私は、とっさにわからなくなってしまいました。
・
・
・
(もし、あの日に戻れたら。自分はどうするだろうか)
そんな風に考えてしまうことがあります。
すれ違う親子の気持ち
さて。話を宮川家に戻します。
家族として、お互いに深い愛情を持っていた母と息子でしたが、がん告知を受けてからの二人の対応はまったく方向性の異なるものでした。
(母)
医者があそこまで言うなら…
まぁ あかんってことやねぇ…
(宮川サトシ『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』第4話「僕の自慢話を喜んでくれる人」/新潮社)
母は自分が死ぬことを受け入れ、その準備をはじめます。
庭の整理や勝手の改装、そして写真の整理。
対して、息子の方は母を支えるために仕事を辞めました。
百日詣でを行ったり、がんに効くはずの野菜ジュース作りに1個100円もするレモンを何個も使います。
毎日、母のために行動することは、自身の心を落ち着かせてくれたそうです。
この場合、「末期がん」に向き合っていたのはどちらだったと言えるのでしょうか?
…どちらも向き合っていたのかもしれません。
ただ、母にとっては末期がんは「死」であり、息子にとっては「家族みんなで乗り越える障害」に見えていた。
(サトシ)
お袋はこの先もずっと生き続けるんだってば!
何回も言わせないでよ!
(宮川サトシ『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』第6話「百日詣でをする僕と写真整理を始める母」/新潮社)
陳腐な物言いですが、私は二人のすれ違いがとても悲しかった。
冷静に考えれば、末期がんは「死」と認識し、残された時間をどう使うか、という考え方をするべきなのでしょう。
でも、私はこの気持ちもわかるのです。
私と祖母の場合
私は「祖母の死」は受け入れていると思っていました。
ですが、祖母から「これが今生の別れ!」といままでと変わらない笑顔で切り出された時、心が硬直してしまったのです。
いま思えば、自分が大っぴらに認めると本当に祖母が死んでしまう気がしてしまったのでしょう。
でも、私が認めようが認めまいが、祖母は死ぬ。
私は腹の底では「祖母の死」を受け入れることができていなかった。
祖母自身は「死」を受け入れて明るく接してくれているのに、その気持ちにまっすぐに応えられないのは、ダダをこねる子どもといったいなにが違うのか。
私は大人になったつもりでした。
だけど、都合の悪いことは受け入れられない子どものままであったことを、祖母との別れに際して思い知りました。
程度の差こそあれ、この物語の主人公と同じです。
続きます。
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』身近な家族の死を受け入れるということ②
今日も、長いのにここまで読んでくれてありがとう!
それでは、また!
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あわせて読みたい
滝波ユカリ『ありがとうって言えたなら』
『臨死!!江古田ちゃん』や『モトカレマニア』の滝波ユカリ先生とその母の話。
こちらも実母との関係やその看取りの様子が描かれます。
『臨死!!江古田ちゃん』に出てくる「姉」はおそらく滝波先生の実の姉だと思われますが印象よりもとてもしっかりとされていた方でした。
親子関係って人それぞれですが、看取り方も同程度に人それぞれでしょうか。
ちょっと違う気がします。
何冊か読んでみると、自分の親が死ぬときのことがいくらか具体的に想像できてくるかもしれません。
城山三郎『そうか、もう君はいないのか』
没後に発見された、妻への遺稿をまとめた『そうか、もう君はいないのか』。
この『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』に出てくるお父さん(つまり母の夫)も、妻の死が相当に堪えていたようですが、城山先生も相当の愛妻家。
どれほどの絶望だったのか。
素晴らしいのがこのタイトル。
そうか、もう君はいないのか。
もう、このタイトル読んだだけで、妻との関係やその空白のすべてが伝わってきそうで涙腺が何かを感じる。