著者:吉原三等兵(@Twitter)
ハンター・姉崎 等(あねざき ひとし)氏を知って欲しい。
突然ですが、今回はそんな動機から書いています。
90年代末、強烈なインパクトを与えた、新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』。
下世話なほどに個性的な登場人物が多数登場する本作ですが、その中でも際立った魅力を放っていたのは老ハンター「飯島猛」です。
そのモデルとなった、アイヌのヒグマ撃ちハンター「姉崎等」さん。
姉崎さんの貴重な体験を口述式で記した『クマにあったらどうするか』は同氏の強烈な半生、ヒグマの生態、山の歩き方、アイヌの風習など、とても『クマにあったらどうするか』という枠に留まらない濃厚・貴重な内容となっております。
今回は『クマにあったらどうするか』と『ザ・ワールド・イズ・マイン』を見比べながら、「飯島猛」と「姉崎等」さんをご紹介したいと思います。
目次
『クマにあったらどうするか』というネタ元にたどり着くまで
『ザ・ワールド・イズ・マイン』は折々読み返していたのですが、ある時ふと違和感を感じたのは、以下のコマ。
しゃべっている人の顔もなく、ほぼ背景。
また実際読むとわかるんですが結構小さいサイズのコマなんです。
まぁ~、サラッとしたもんですよ。
(飯島猛の息子)
新千歳支部の防除隊顧問になってくれっていう話、散々っぱら断っといて。
あんたの盟友 現顧問しとる姉ケ崎さんまでが親父に譲るって言ってるのにさ。
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』2巻 034「飯島 猛」/エンターブレイン
「あんたの盟友 現顧問しとる姉ケ崎さん」。
な~~~んか、説明的なんですよね。
もともと、新井英樹先生は「聞き間違い」とか「どこまでしゃべったか忘れた」とか、普通のマンガであればまず省略する日常会話上のノイズも作中に取り入れるような「リアルな会話のやりとり」を志向しています。
その、新井英樹先生が、「ものすごく説明的なセリフ」を入れている…。
しかも、この「姉ケ崎さん」なる人物は、この先の物語で一切でてこない。
佐藤さんでも鈴木さんでもない、マンガ文脈的には少し目立つ名前なのに…。
………
……
…
するか?
そういうこと。
「あの」新井英樹先生が。
(掲載紙が移った時なんかは説明的なセリフが入ってたことありましたけどね)
加えて「盟友」とか、一定のリスペクトを示すような言い方をしている。
これはもう一種の「©クレジット」のようなものだろう、と思うわけです。
(モ デ ル が い る な …)
そう確信してパソコンの前に座って特定作業を開始しました。
たしか「防除隊」「姉ケ崎」からスタートして「ヒグマ」「北海道」とかを入れたあたりで、『クマにあったらどうするか』(姉崎等)に行きついたんだったと思います。
「これだ!」
当時はハードカバー版しか売られていなかったと思いますが、すぐに取り寄せました。
これがもう、びっくりするくらい「飯島猛≒姉崎等」なんですね。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』は1997年~2001年の連載で、『クマにあったらどうするか』は2002年の発行ですから、少なくとも書籍の影響を受けてマンガ化されたわけではありません。
すべて取材で同様の内容を聞き出してきたのです。
後に『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』(描き足した上での再出版)の中で『ザ・ワールド・イズ・マイン』担当編集者の方が何人かのハンターの方の取材に行った話をしていましたが、姉崎さんを探し出し、さらに限られた時間でここまで人物を掴む取材力の高さを称賛したいと思います。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』飯島猛、『クマにあったらどうするか』姉崎等
まず、姉崎さんのプロフィールを。
1923年(大正12年)北海道生まれ。
アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師。
3歳のときに鵡川から千歳に移り、母方のアイヌ民族の集落で暮らしながら猟を覚える。
12歳から村田銃で狩猟を始める。
22歳からクマ撃ちを単独で始め、25年間で40頭、集団猟を入れると60頭を獲る。
1990年、春グマの狩猟禁止とともにクマ猟をやめ、以後、ヒグマ防除隊の相談役、ついで副隊長を務める。
その間、北海道大学によるヒグマのテレメトリー調査に協力。
2001年6月、銃を手放し、65年間に及ぶ狩猟人生に区切りをつける。
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』/木楽舎
文庫版のプロフィールを見ると、2013年10月に90歳で亡くなられたようです。
年齢的には大往生なのでしょうが、惜しまれるべき人です。
ご冥福をお祈りいたします。
さて。
対して、『ザ・ワールド・イズ・マイン』飯島猛という登場人物の設定を箇条書きにしてみましょう。
- 千歳在住
- 数々の伝説を残した名ハンター
- 「鉄人」「超人」の異名
- ヒグマ防除隊の顧問の話がきている
- アイヌ(明確な記載なし)
と、こんなところです。
「鉄人」とか「超人」とか表現されていますが、実際そのとおり。
そして、それは姉崎さんも同様です。
『クマにあったらどうするか』を読むと、ちょっとでも山に登ったことがある人は脅威的に感じるのではないでしょうか。
クマの通る道をそのまま通る超人的な体力、クマの行動を先読みする正確な洞察力、実証主義に裏打ちされた学者も顔負けの確かな知識。
傑出した人間であることに疑いの余地はありません。
クマよりも貧乏が怖い
それでは、実際に「飯島猛≒姉崎等」の発言をたどってみましょう。
(飯島 猛)
「クマ撃ちの名人」?
へへ……おだてにゃ乗らないよ証券屋。
クマの方が危ない?
クマが怖いなんてえのは余裕のある人間だよ。
俺ぁな 証券屋
銭っこねえのが一番怖えんだ。
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』1巻 003「羆(ひぐま)」/エンターブレイン
ちなみに、このシーンの背景にある写真は『クマにあったらどうするか』でも示されています。
鉄人・姉崎等の若かりし頃ですね。
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』「第二章 狩人の知恵、クマの知恵」/木楽舎
この写真を見つけた時は興奮しました。
"完全に一致"ってやつですね。
もうひとつ言うと、足元にいる猟犬は「リュウ」という名前なのですが、野田サトル『ゴールデンカムイ』にでてくる「リュウ」のモデルになっています。たぶん。
さて。
この「クマよりも貧乏が怖い」という発言は、そのまま『クマにあったらどうするか』中でも語られます。
クマやお化けが怖いって言う人は、まだ余裕があるんだって言うんですよ。
貧乏の方がよっぽど怖いんですよ。
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』「第一章 こうしてクマ撃ちになった」/木楽舎
『ザ・ワールド・イズ・マイン』の中では、この「クマより貧乏が怖い」という発言の真意は語られませんが、『クマにあったらどうするか』中ではその背景が詳しく語られています。
- 父が早く亡くなり母も就労能力がなく、12歳で家計を支える必要があった
- 兵役を前に家族のために家を建てる必要があった
- 戦争後、兄の子供二人の生活の責任を持つことになった
- 結婚した妻は持病があり、高額の医療費が必要だった
この苦難を乗り越えるために、姉崎さんはただひたすらに働きました。
例えば朝は7時半から勤め先の米軍基地に出勤し、夕方はそのまま自宅へは帰らずに猟へ。
家に戻るのは午前2時過ぎになり、獲物の下処理をしてからだと就寝はいつも午前3時くらいになっていたそうです。
死ぬ。死んでしまう。
ブラック企業も真っ青の勤務形態ですが、「家族の生活を背負った覚悟」と「自分の肌にあう仕事」であればこそだったのでしょうか。
いや、しかし根本的な心身のタフさが無ければ到底無理。
よく考えてください。
三時間睡眠の状態で、夜間、深い山に入っていく。
これだけで自殺行為に近いんですが、これを毎日!!
言葉はないです。
そして当然ではありますが、この状況を生き残り続けるにはタフさだけではなく高い知性がなければ絶対に無理です。
状況を読み取る能力や、先読みの能力、判断力。
全部揃ってないと絶対に事故死する。
生涯で一番危険だったクマ
次は、生涯で一番危険だったクマのエピソード。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』では以下のように描かれます。
(飯島 猛)
一本のブナの木はさんで一対一でさ、
その頃の銃っていったら弾一発しか込められねえもんだったから、
クマが右に左に顔出しちゃ引っこめすんだけど、はずすわけにゃいかねえのよ。
はずしゃ次の弾装填する間にお陀仏だ……
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』1巻 003「羆(ひぐま)」/エンターブレイン
一発しかないから外せない。おそらく村田銃でしょう。
なるほどピンチです。
しかし、一見するとこれは「村田銃だったからピンチに陥った」かのようにも読めてしまいますが、『クマにあったらどうするか』では逆に「村田銃だからこそ助かった」ともっと踏み込んで書かれています。
実際には、外したらお陀仏だけど命中してもお陀仏だったという話。
サッと目の玉二つが見えればその真ん中を撃ってやろうと思うんだけど、私の命がかかっているから撃てない。
でも、そのとき私がすぐに撃たなかったのは正解だったんです。
それから何十年かたってクマを何十頭も獲ってからも、あのとき撃たなかったのは正解だったなと今でも考えています。
あれが今の自動式の連発銃を持っていたら間違いなく私はクマにやられていました。
(中略)
顔面半分くらい割れたからってそれくらいで死ぬ動物ではないんです。
そして顔面の半分くらいやられて、いずれ致命傷になることはなってもその場では死なないですから。
その場では逆上して人間を襲う力が倍加するんです。
だからそういうことを考えたときにポンコツの村田銃が私を救ったんだなぁと思いました。
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』「第五章 クマにあったらどうするか」/木楽舎
生死は指呼の間にあり、といったところでしょうか。
心理的な攻守が何度も入れ替わる非常に緊迫感のある場面なのですが、『ザ・ワールド・イズ・マイン』では軽く触れているのみ。
詳しい話は『クマにあったらどうするか』で読んでください。
"勝機"を掴んでいるかどうか、で人の精神はいかようにも変わるのだ、と思わされるエピソードです。
山に入って殺された奴には同情できない
こちらのセリフ・発言も、同根のものと考えられるのでご紹介しましょう。
まずは『ザ・ワールド・イズ・マイン』飯島猛。
(飯島 猛)
山ぁ入っといて殺された奴には同情できねえ。
これぁ…仕事だ!!
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』2巻 035「かく語りき」/エンターブレイン
普通の人間の感覚で言えば「気の毒だな」程度には同情するわけで、「山」の恐ろしさの認識が強烈にあってのことでしょう。
続いて、『クマにあったらどうするか』姉崎等。
こちらが強制して止める権利はないから、私たちは『危険なクマの見回りに回っているから入らないでください』って言うだけでした。
入らないでくださいって言うと、タケノコ採りに来た人は、余計なこと言うなっていう調子で『いや、大丈夫だ。道路からちょっと入るだけだから』ってどんどん入るんです。
こちらが注意したのに、それを無視して食われるのは私は仕方ないと思った。
(中略)
これは、結局私たちが注意したのを無視してタケノコ採りに入って二人も殺されてしまった事故なんです
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』「第五章 クマにあったらどうするか」/木楽舎
姉崎さんの発言に関して、理屈で言えば「そのとおりだなぁ」と思うのと同時に「目の前の人間がこれからそれなりの確率で惨殺される」ことに対してのフラットさが常人離れしている気がします。
やはり山の理解の深度が違うので、こういう「山への敬意」を欠く安易な行動に対して思うものがあるのかもしれません。
両者ともに「山」という場所を軽々しく考えていないということがよく伝わってきます。
戦争経験
戦争経験がある、ということも両者に共通していまします。
違うのは戦地。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』飯島猛はガダルカナルであり、『クマにあったらどうするか』姉崎さんは樺太でした。
ともに激戦であったそうです。
戦地で人を殺した経験、敵兵に命を狙われた経験。
山で獲物を殺した経験、クマに命を狙われた経験。
そのどれもが、「命」というものの認識を常人とは違うレベルでとらえる契機になりうる、と思います。
私には入り口を想像するのが精いっぱい。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』の中で飯島猛はこのようにも述べています。
(飯島 猛)
命を奪う行為は神に預けてた命を取り戻す戦いだ。
時として至福!!
俺は貪欲にそいつを味わうつもりさ!!
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』3巻 067「老兵」/エンターブレイン
この感覚も、そういった環境からもたらされたものなのでしょうか。
アイヌの「魂送り」の儀式もそうですが、命を奪う行為には必然的に宗教的な概念が必要になるのかもしれません。
「殺すこと」には必ずなんらかの精神的負荷がかかるはず。
殺す側にはそれに対処するための心の所作が必要なのだと思います。
ヒトを襲うクマはろくでなし
さて、次はそれぞれの「人を襲ったクマ」への見解をあらわす言葉を見てみましょう。
まずは『ザ・ワールド・イズ・マイン』から飯島猛のこの言葉をご紹介します。
(飯島 猛)
熊であっても人間であっても神であってもだ、
人を襲うようなのはろくでなしだ!!
山に位があるように立派なものとそうでないものがいるのさ。
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』2巻 055「なめとこ山の熊」/エンターブレイン
『ザ・ワールド・イズ・マイン』飯島猛がアイヌの関係者と確定させる描写はでてきていません。
しかし『クマにあったらどうするか」を読めば「人を襲うクマはろくでなし」とはアイヌ民族の価値観であることがわかります。
姉崎さん自身はアイヌと和人との混血児であり、その文化の中で育っていました。
通常、アイヌ民族ではクマは「カムイ」と呼ばれ神の扱いを受けるのですが、人を殺したクマはもはやその扱いを受けません。
―それとは逆に人間を食べたりしたウエン(悪い)の方、同じクマ神様でも悪クマと言われるのもいるわけですよね。
「はい。たとえば人間を襲ったり、人をあやめたクマがいると普通のクマのときは家の中へ入れて神様としてホプニレ(魂送り)するんだけど、人をあやめたクマは家の中へは入れないんですよ。
(中略)
同じカムイ(クマ)であっても人をあやめたものはカムイ(神)でなくなっているんです。
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』「第四章 アイヌ民族とクマ」/木楽舎
人を襲ったクマは神であって神ではない。
このとらえ方。
距離感。
こういう話を聞くと、やはりクマは「すぐに人間を襲う」生物ではないことが想像できます。
そうであるからこそ、人間を襲うクマの方が「例外」なわけで。
誇り高いものはふさわしい生き方をしている
『ザ・ワールド・イズ・マイン』飯島猛はこのように続けます。
(飯島 猛)
誇り高く威厳のあるものはそれにふさわしい生き方をしている。
そういったもんだべさ!!
新井英樹『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』2巻 055「なめとこ山の熊」/エンターブレイン
「誇り高く威厳のあるものはそれにふさわしい生き方をしている」
これまでの人生で出会った数人の顔が思い浮かびます。
ある女優の方からこんな話を聞いたことがありました。
「舞台上で観客の目はごまかせない。だから立派な人物を演じようと思ったら、自分自身がまず実際に立派な生き方をしなければならない」、と。
立派な人間は立派な生き方をしている。
ろくでなしはろくでもない生き方をしている。
クマも同様だということです。
『クマにあったらどうするか』で姉崎さんはこう語ります。
―順位の高いクマは山奥へ入る。
「結局、強いクマが長生きするのはそれだけ危険な人里のようなところへ出ないことを守っているからです。
だから長生きするんだと思います。
そして悪さもしない。
だから大きくなったクマを見ると『ああ、大きいから安心だ』と思いなさいと私はよく言うんです。
大きいクマは悪さをしないから大きくなっているんですよと。
(中略)
そういうクマは絶対に足跡を付けない。
だから大きいものほど、ひっそりと自分たちの生活を守って、命を守っている。
語り手・姉崎等、聞き書き・片山龍峯『クマにあったらどうするか』「第七章 クマと共存するために」/木楽舎
軽率なクマは人里に降りてエサをとる。悪いことをすることもある。
人に危害を加えれば基本的に追われて殺されますので、人里のクマは短命になりがちです。
慎重なクマは人を避けて深い山に入る。足跡も残さず人に危害を加える可能性は低いとのこと。
必然的に長生きするため、強く大きくなるのですね。
「位の高い生き物はそれにふさわしい生き方をしている」のです。
飯島猛、姉崎等さんの比較・まとめ
今回伝えたかったことは2点。
- 実在の人がフィクションで主要キャラの一人として登場する面白み
- 「姉崎等」という人物
ほとんど本人の分身のような人物が作中で主要な登場人物を担う話はあまり聞いたことありません。
歴史ものや実録もの以外で、ここまで「まんま」な人が出てくる話ってちょっと思い浮かばない。
それほどまでに取材をとおして作者の新井英樹先生の中に強烈な印象を残したのでしょうね。
そして、実際に『クマにあったらどうするか』を読めば、それもうなづけます。
もう一度言いますが、とても『クマにあったらどうするか』という枠に留まらない内容であり、これをハンターや山登り、キノコ狩りタケノコ狩り界隈の人だけに読ませておくのはもったいない!
口述式であるためか、同じような話が出てくることもあるのですが、そこはご愛敬(笑)。
また、タイトル通りの『クマにあったらどうするか』に応えるエピソードも充実しており、実際に襲われて助かった人や亡くなった人の事例を取り上げながら解説されます。
2016年に戦後最悪の被害を出した獣害事件、十和利山熊襲撃事件が起きましたが、この『クマにあったらどうするか』を入山者、報道関係者の皆々様は熟読すべき!と思いました。テレビの前で忸怩たる思いでいましたよ。
参考 十和利山熊襲撃事件Wikipediaクマによる食害が起こっているにも関わらず「鈴をつけて(山に)入りましょう」とか呼びかけてましたからね…。
それはもうエサの合図…。
と、いうことで興味をお持ちになった方はぜひ一読して欲しいと思います。
今日は少なくとも「姉崎等」、「姉崎等」の名前を覚えて帰ってください。
それではまた!
あわせて読みたい
「苫前三毛別羆事件」に関連する2冊の書籍と『ザ・ワールド・イズ・マイン』と同じくこの『クマにあったらどうするか』をネタ元にしているとおぼしきヒット作をご紹介いたします。
吉村昭『羆嵐』
有名な作品ですが吉村昭『羆嵐(くまあらし)』もご紹介します。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』の編集の方も読んだと言っていましたが、苫前三毛別羆事件がモチーフになった小説です。
参考 苫前三毛別羆事件Wikipedia同作品の「妊婦が襲われる描写」は鬼気迫るものがあります…。
熊の小説を読むのなら、まずはじめに読むべき作品ではないでしょうか。
木村盛武『慟哭の谷』
三毛別羆事件と言えば、この本も読んでおきたいところ。
木村盛武『慟哭の谷』です。
生き残った方々を取材した上で三毛別羆事件の詳細が描かれ、『羆嵐』がほとんど史実どおりということがわかります。
図解や当時の写真も多く、記録として面白い。
野田サトル『ゴールデンカムイ』
いや、ぶっちゃけ読んでなくて私が読みたいんですよね。
連載が完結したら読む予定。
本文中でも言いましたが、どうも姉崎さんの猟犬の「リュウ」はこの作品でオマージュされているようです。